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綱吉『忠臣蔵』、ガリレオ、ガリバー享保の改革(1)三方一両損享保の改革(2)


朝日新聞社説によると宇宙は137億年前に生まれ、1000億年後の宇宙は500倍に膨れ上がるらしい。

ガリレオGalileo Galilei、1564~1642)は1609年に望遠鏡を製作、1610年にガリレオ衛星を發見。
ガリレオの望遠鏡製作から400年たった西暦2009年は国際天文年だそうだ。

シナ語では「伽利略・伽利萊」Jialilüe Jialilai で、ガリレオ衛星(=伽利略衛星)は「木衛一」「木衛二」「木衛三」「木衛四」と番号で読まれている。

ケプラーJohannes Kepler、1571~1630)が惑星の運動に関する第1、第2放送を法則を發表したのも西暦1609年であった。

ガリレオはケプラーの楕圓軌道説を受け入れなかったらしい。
しかし、ケプラーはコペルニクスとガリレオの太陽中心説を継承していた。

ガリレオはキリスト教によって迫害されたが、のちに登場した天文学者は、太陽中心説を採用している。

安土・桃山時代の秀吉や江戸時代初期の家光などがしばしばキリシタンを弾圧したのは、魔女狩りやガリレオ裁判など、キリスト教の脅威が背景にあった時期である。
日本がおこなった戦争も、周圍の戦乱にまきこまれたと考えるのが妥当である。

1615年の大坂夏の陣から1637~1638年の島原の乱にかけての時期、欧洲では1618年から1648年まで(30年戦争が起きている。
ケプラーの母親は「魔女」と疑われ、ケプラーは何とかして母親を取り戻した(Carl Sagan『COSMOS』)。

村山談話を聖書にして田母神氏を批判する日本の全体主義も、ガリレオ裁判に似た風潮である。

参考になる記事
天の川銀河で“バンパイア”星を発見
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト 2011年6月10日(金)17時54分配信

ティコ・ブラーエ宇宙船、発射実験成功
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト 2011年6月10日(金)16時10分配信

ティコ・ブラーエの名前が宇宙船に使われているらしい。
ヨハネス・ケプラーの名前は使われていないのか?
そう思ったら、ATV2号に使われているようだ。

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2008年9/13 [3] [4]
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