ハレー彗星は英語でHalley's Comet、シナ語で「哈雷彗星」である。

Wikipedia によるとWikipedia ハレー彗星の公轉周期は「75.3年」とある。およそ75年と4箇月であろう。
「76年周期」と言われるが、もし、厳密に76年間隔であれば、1910年の前は常に偶数の年に接近するはずで、そうならない(1835年は奇数の年)のは、地球の公轉周期の76倍とは一致しないからである。




1603年 江戸幕府成立
1607年 ハレー彗星接近。江戸時代初期
1615年 大坂夏の陣
1648年 西川如見誕生
1680年 綱吉(1646~1709)が将軍に
1682年 ハレー彗星接近。綱吉の時代
1685年 貞享暦(大和暦)採用(『天地明察』)
1685年 生類憐みの令(『歴史への招待15』)
1687年 アイザック・ニュートン『プリンキピア
___ 生類憐みの令(『歴史への招待15』)
1705年 吉宗が紀州藩主に。エドモンド・ハリーが彗星楕圓軌道説を主張
1707年 富士山が噴火(宝永大噴火)
1709年 綱吉没す
1711年 家重誕生
1712年 西川如見『天文議論』
1713年 家継が将軍に
1716年 吉宗が将軍に
1719年 吉宗が西川如見(1648~1724)を江戸に呼ぶ
└→如見は吉宗に『天文議論』その他を献上
└→『暴れん坊将軍』では彗星(ハレー彗星ではない)が関東の大和田村に落下。西川如見は彗星の楕圓軌道を計算し、落下場所と日時を予言
1720年 火消いろは組成立(『暴れん坊将軍』ではその前に「め組」が存在)
1724年 西川如見没
1730年 徳川宗春が尾張藩主に
1745年 吉宗が将軍職を家重に譲って大御所に
1747年ごろ 西川正休が天文方に任ぜられる
1751年 吉宗没。大岡忠相も没
1752年 フランクリンが凧の実験で雷が電気だと証明
1759年 ハレー彗星接近。ハリーの予言が的中
1760年 大岡忠光没。家重退職
1776年 アメリカが独立を宣言。平賀源内エレキテル復元
1828年 シーボルト事件
1835年11月16日 ハレー彗星接近
└→『仕事人V激闘編』第17話「江戸の空にハレー彗星が飛ぶ」で描かれたのはこの彗星か
└→坂本龍馬がこの年に誕生し、『お~い!竜馬』の冒頭でハレー彗星が描かれた
1853年 黒船来航
1868年 年号が明治に
1910年4月20日 ハレー彗星接近。ドラえもんとのび太が目撃
└→のび太は曽祖父・のび吉(当時、10歳くらいの少年)に浮き輪を提供
└→この年、日韓併合
1985年 ドラえもんとのび太がタイムマシンで1910年の日本へ
└→この年ののび太を10歳とすると、1975年8月7日生まれ。21世紀初めに声優交代したあとのアニメの玉子と同世代
1986年2月9日 ハレー彗星接近
2061年7月28日 ハレー彗星接近予定
2112年9月3日 ドラえもん誕生
2134年3月27日 ハレー彗星接近予定
3026年7月2日 惑星ツィフォンが地球に衝突予定(『ウルトラマン』←『空想歴史読本』より)




ハレー彗星が1835年に接近したのは11月16日らしく、おそらく陽暦であろう。
一方、坂本龍馬は1825年(天保6年)11月15日生まれであるが、これは陰暦による日付であり、陽暦では1836年の1月3日である。

『空想科学読本3』で柳田理科雄は『プリンキピア』を1680年に出た本としているが、ネットで調べて見ると1687年とある。
『歴史への招待』の放送時期に出た解説本の第15巻によると、19ページの年表では最初に生類憐みの令が出たのが貞享2年(1685年)で、26ページによると貞享4年(1687年)に初めて出たことになっている。

「天地明察」で1673年に保科正之が没してから1685年に大和暦(貞享暦)が採用されるまでの間、1682年にハレー彗星が接近していた。
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2008年12/28