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○古朝鮮
朝鮮人の歴史観に存在する古代国家で、南満洲と北朝鮮を支配していたらしい。

○高句麗(朝鮮語 Koguryeo、北京語 GaojuliまたはGaogouli、紀元前後~668)
└→高句麗【地理】

渤海(朝鮮語 Paelhae または Balhae、北京語 Bohai、8~10世紀)
└→満洲史の中の渤海國【地理】

遼(Liao、916~1125カラキタイ
宋と抗争したが1004年に和睦。1125年に金によって滅ぼされたが、1132年に一族が中央アジアに逃れて西遼を建てた。1211年、トルコ系のナイマン族によって滅ぼされた。


○清(前身・金1616~1636~1911)
満洲民族の国家。ヌルハチ(Nurhaci、太祖、1559~1626)が明(Ming)を滅ぼし、金を建国。2代目太宗・ホンタイジ(Hontaiji、Huang Taiji、皇太極、1592~1643)が1636年に国号を大清に改めた。1636年は家光の時代で、島原の乱(1637~38)の直前であった。
明の建国によって北のモンゴル高原に逃れていた元(Yuan)は清と併合。
康熙(かうき、Kangxi)、乾隆(けんりゅう、Qianlong)のときが全盛だったらしい。
1911~12年の辛亥革命で滅んだ。
これは満洲がシナとチベットとウイグルとモンゴルを支配した国であり、近代中国が満洲からの独立を考えず、清の領土を継承しようとしたのは、喩えていえば1945年当時の朝鮮が大日本帝国の領土を受け継ぐようなものだ。
皇帝の妻はすべてモンゴル人で、満蒙はこの清の時代にはことばだけでなく現実のものであった。
幕末の公武合体や日韓併合のときの日朝皇室の婚姻に似ている。
『SHANGHAI NOON』は清国の姫がアメリカに連れさられ、アメリカが気に入って帰国をやめ、アメリカに住み着くというアメリカ万歳映画。
『還珠格格』も清朝が舞台。

www.asahi-net.or.jp/~wd2k-tkmt/swallow/kan/kan.htm

○満洲国(1932~1945)
経済封鎖をされた日本が生き残るために、当時、無政府状態だった満洲に作った国。
清の最後の皇帝・溥儀(Pu Yi)が満洲国の皇帝となった。その建国理念は普通であるが疑問点もある。
清ではシナ語と満洲語の2言語併用だったが、日本主導の満洲国では満洲語(トゥングース系)とシナ語(シナ・チベット語族)がどれほど教育されていたのか疑問である。
満洲からの「引き揚げ者」がまるでシナ語を覚えていないで、高齢になってから満洲を訪れる際に通譯に頼るところを見ると、満洲に移った移民(ヤマト系、朝鮮系、台湾系日本人)は日本語社会にとどまっていた可能性がある。
また、これら「引き揚げ者」は自らを「日本人」と認識し、そして「自分は中国東北地方に渡った、またはそこで生まれた」と見なしており、「満洲国人」というアイデンティティーを持っていない。
これでは当の「日系満洲人」が満洲国の建国理念を理解していなかったことになる。

もし、満洲国が日本の一部であれば、1895年台湾割譲、1911年日韓併合に続いて、1932年の日満併合によって東アジアの東側には満洲、台湾、朝鮮、日本による大帝国が形成され、その西に接していた中華民国と並んで「東西朝時代」だったと言える。
└→満洲史における満洲国

中国での1990年ごろの統計でトゥングース民族は満州族982万人、シボ(錫伯)族17万3000人、エウェンキ(鄂温克)族2万6000人、オロチョン(鄂倫春)族7000人、ホジェン(赫哲)族4200人(小学館『中2時字典』92年初版、94年初版第6刷)で、中国内トゥングース系の合計は1003万0200人。
1991年大修館『言語』6月号22頁で「ツングース語」の解説が言語学の風間伸次郎氏によって書かれ、当時のソ連領で「エウェン語」「エウェンキー語」「ナーナイ語」、中国領で「ソロン語」「シベ語(かつての満州語)」が紹介されている。合計話者数は書かれていない。分布は満洲北部とシベリア(アムール川流域、沿海州)、樺太、ウイグルなどに擴がっている。
2009年2月8日

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