1969年
太田幸司が甲子園で準優勝。秋のドラフトで近鉄から指名され、入団。

 

 

 

 

1970年
春のオープン戦で星飛雄馬と太田幸司が投げ合う。星はその年の終わりに失踪。
秋のドラフトで川上巨人が土佐嵐高校の番場蛮を指名(原作『侍ジャイアンツ』)。
藤村甲子園が南波高校に入学(推定)。

 

 

 

 

1971年(昭和46年)
2月、北海道の高校球児・火浦健(投手)が養父をヤクザに殺され、報復として傷害事件をおこし、服役2年。

 

 

 

 

1971年
江川卓が作新学院入学.
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1970~71年
国立玉一郎の白新高校が甲子園出場。

 

 

 

 

 

 

 

 

1972年
藤村甲子園が東京大学に入学(推定)、のちに中退。
国立玉一郎の白新高校が予選を勝ち進む。
秋のドラフトで川上巨人が土佐嵐高校の番場蛮を指名(アニメ『侍ジャイアンツ』)。
秋のドラフトで阪神が白新の山井英司を5位指名、しかし山井は入団拒否(時期は推定、「熱球白虎隊」)

 

 

 

 

1972年夏の甲子園は第54回全国高等学校野球選手権大会。白新高校3年時代の国立玉一郎が出場を目指した(出場逃す?)のはこの大会か。

 

 

 

 

1973年夏の甲子園は第55回全国高等学校野球選手権大会で、江川が活躍。王島大介も出場か。

 

 

 

 

1973年
夏の甲子園で王島大介の阿蘇高校が優勝。ドラフト指名で王島は阪神に、学友の投手が太平洋ライオンズに入団。
秋のドラフトで東京メッツが唐部、丘を指名。
阪急が江川を指名(入団拒否)。
1973年大洋が山下大輔を指名。
師走(推定)に火浦がメッツにテスト入団。

 

 

 

 

1970~1973年?
新潟西高校3年の富樫平八郎がメッツに入団。日下部了は早稲田大学に進学。
新潟西高校の門の学校名で「新潟」が「新泻」になっていた。

新潟と新泻、横浜と横滨

 

 

 

 

1974年
江川が法政大学に入学。

 

 

 

 

1974年
春に、山田太郎、岩鬼正美、殿馬一人(or数人)、里中智が神奈川明訓高校に入学。
不知火守が白新高校に、雲竜大五郎が東海高校に入学。
神奈川明訓高校が甲子園に初出場。
夏の甲子園は第56回全国高等学校野球選手権大会山田世代年表――「明訓入学基準」で山田世代が初出場した大会になる。
└→山田世代は何年生まれか
秋のドラフトでメッツが早稲田大学の日下部了(新潟西高校出身)を指名。
阪神の岩風が引退し、巨人学園の監督に(『一球さん』)。

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