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満洲事変日中戦争、第2次世界大戦太平洋戦争東京大空襲と沖縄戦原爆満洲の悲劇
───────────────────────└→昭和の初めの戦争

原爆投下を「戦争を終わらせるため」というのは後付けの言いわけであり、もともと、アメリカは廣島で核実験をするつもりで、日本を降伏させまいとしていた。

 

「戦争を終わらせるための核攻撃」という論法が成り立つなら、1941年の真珠湾攻撃も2001年の9・11テロもアングロ・サクソンが昔から好んでやっている戦争ゲームを終わらせるため、致し方なかったと言える。

 

また、もう一度日本とアメリカが戦争をしたら、今度は戦争を終わらせるため日本がアメリカに原爆を落としてもいいことになるだろう。

 

日本がやった日中戦争も、シナがやった抗日戦争も、建前(たてまえ)は「戦争をなくすための戦い」であり、それは秀吉もジャンヌ・ダルクも墨子も同じことを言っただろう。

 

重慶空爆も南京占領も戦争を終えるのが目的だったはずだ。

 

戦争を終わらせるためなら、アメリカ政府が停戦を声明して、静かに兵を引けばよかっただけの話だ。原爆投下は終戦と関係なく、核実験のためであった。
アメリカが原爆投下を正当化するなら、中国の核実験も北朝鮮の核開發も正当化される。アメリカ政府はそこをわかっていない。

 

映画『LOST MEMORIES』における原爆
映画『LOST MEMORIES』では、原爆はベルリンに投下され、日米連合軍が東アジアを統合。これが実現していたら、拉致問題もなかったか、あっても早期解決しただろうが、農薬入り餃子や鳥インフルエンザ問題で「水際で防ぐ」ことはできなかっただろう。