*参考にした本は、最後にご紹介しています

 

私たちは、なぜ「学ぶ」のでしょうか?

 

子どものころ、無条件に何かを知りたくて、

まわりの大人に「なんで、なんで?」と聞きまくり、

大人をちょっぴり困らせた経験を持つ人は多いでしょう。

 

色々なたくさんの遊びをしながら、

結果的に色々なたくさんのことを知り、学んだ、

という自覚を持つ人も、きっと多いでしょう。

 

「遊び」の最大の特徴は、

「それ自体が楽しい自己充足的な行為である」ということ。

「学ぶ」だって、そうであっては、いけないでしょうか・・・キョロキョロ

 

今、私たちが「学ぶ」とき、

流行りの「学び直し」とか「リスキリング」とか をするとき、

「学び」は単なる手段でしかないのかもしれません。

でも、「学び」にだって、そこに「自己充足的な行為」を

見出しても、良いのではないでしょうか?

 

あなたにとって、「遊ぶ」「学ぶ」

「同じもの」ですか、「別なもの」ですか?

もし、「別なもの」なのであれば、

ちょっとだけでも「同じもの」にしてみませんか?

 

*森下伸也『社会学がわかる事典』日本実業出版社、2000年、p.172

 「ひとはなぜ遊ぶのか(遊びの社会学①)」