息子の彼女の訪問からしばらく旦那は少し元気だった
治療が進まないと怒ったりもする気力も出たりした
私は先生に嘘でもいいから前向きに治療していると言ってくれと頼んだりもした
コーラが欲しいと言ったので飲ませた。
「おいしい!」と喜んでいた
最後の「おいしい」がコーラでした
旦那の歯磨きをしたり、爪を切ったり、耳掃除したり、カサカサになる肌にオイルを塗ってマッサージしたり
どれもこれも結婚28年にして初めてすることばかり
とにかく愛おしかった
旦那の身体をトントンしながら私も疲れてうつらうつらしてしまう
そんな私を見て旦那は私の背中を撫ぜてくれていた
その後だんだんと訳のわからないことを言い出すようになってきた
看護師さんに「明日、退院しますんで!」と笑顔で言ったりした。
看護師さんが、え?と驚くと 旦那は、へ?みたいな顔して…私もその時は「なに言うてるん」と笑ったりしたけど
今考えると、かわいそうな事を言ったと反省。帰りたかったんだ。本当に帰りたかったんだ…
そこからもう、どんどん熱が出たりしんどがったり…
そんな旦那が
「俺がなんで頑張ってるのか分かるか?◯◯の(←息子の名前)彼女の為にやで!向こうの親に挨拶行かなあかんやん」
と。
「まだ先でえーやん。今はゆっくり治そう」
と答えると
「そんなゆっくりしてたら信用無くすぞ!」
と言っていた…
そしてだんだんと容態は悪化していき、付き添う私達の体力もすり減り出した
息子と交代
息子とのLINE。忘れないようにココに貼ります
10月30日
お風呂に入りたがっていた旦那が、もう喜ぶこともなかった…
そして朝一番にそのお風呂に入ってから血圧が下がり出したと連絡が入り病院に駆けつけた
しかしながら旦那は持ち直す。
本当に体力のある人だ。
一度息子には家に帰ってもらう
ここから先、どうなるか分からない。
しかし、この夜が私と旦那との最後の夜となる
「はーい」と答えた旦那。この会話が最後だったかもしれない…
どんどん血圧や心拍が下がる
息子が駆けつける
親子3人で長い夜
息が荒かった旦那の息が静かになる
どんどん数値が…
義妹と姑に連絡する
どんどん数値が下がります
息子が旦那の手を握り、2人で行ったツーリングのことやスキーのことを話すと
心拍が上がる
私は、ただただ見守るだけ
また数値が下がります…
義妹と姑が駆けつける
少し心拍が上がる
そうしてその後
ピーーー…と数値が0に…
おとーさん!と叫ぶ息子
◯◯!と姑
おにぃ!と義妹…
みんなで泣いた
私は心で叫んだ
「俺が死んでもお前は1人で大丈夫って言ってたやん。あの時は笑ってマジか?て答えたけど、そんな事ないわ!1人にしんといてよーー!」と。
旦那は笑顔だった
とびきりの笑顔
ラクになれたのかな…
ふわふわしてるのかな…
もう、しんどくないよ。どこも痛くないよな。食べたかったよね。家に帰ろう。家のベッドで寝よう。
2016年11月1日の朝みんなに見守られ逝ってしまいました
余命宣告から、きっちり2週間生き抜いてくれました
亡くなってから息子が若かりし父親の写真を初めてマジマジと見て言います
「なんやー。俺、お父さんに何ひとつ勝てへんかったわ。」
「そーやねん。お父さん昔は男前やったわ。笑」
息子は尊敬する父親の背中を追って生きていって欲しい
私は、たくさんの思い出と優しさをくれた旦那と結婚できたことが正解だったと改めて感じてます。
おわり
P.S もう書いてて涙で顔がクチャクチャですわ。文もメチャクチャクチャですけど、お許しください![てへぺろうさぎ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/limited/008.png)
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