いつからでしょうかね…、〇〇ファーストという言葉が巷で頻繁に言われるようになったのは❓
元来、すべての人が自分基準で秤に掛けているんだと思うのですが…。(もともと、自分ファーストだと思うのですが…)
但し、私達は誰もが大きさは問わず社会という名で形成された中で生活しています(家庭がある人なら家庭が、勤務している人は勤務先が、そして自分が住んでいる地域が、県が国が)、それ故、その社会では許容(我慢)というものがなければ、摩擦が起こってしまうではないでしょうか…❓。
自分が…自分が…は、大きな成功を目指す人(政治家や芸術家、芸能人、アスリート)、には必要だと思いますが、静かに暮らす市政の民には、それほど必要なものなのか疑問です。
私は、今の時代は不寛容な時代だと思っています。そして強者の論理が闊歩していると感じています。
そのいい例が、公園のベンチに取手をつけて、一人分のスペースを作っていることです。これは、都市部の公園にいる住所不定の方々への対策です。それだけではありません、さも、芸術らしく見せかけて、実はそこに長居することを排除するための建造物があります。(排除アートと呼ばれるものです)
しかし、考えてみてください、そうやって、一部の人を排除する対策が、回り回って自分達に返って来ることがないとは言えません。急に、体調を崩して横になりたい時に、ベンチで横になれないのです。災害が起こっても、同じです。
私たちは、いつ経済的にも、健康的にも弱者になるかわかりません。(自分が肉腫という病気になって、分かりました。)
だからこそ、この生きづらい時代、寛容さを持つことが必要なのではないでしょうか❓
公共の場で排除される日本人は、来日して排除されようとしている外国人となんら変わりはないように思います。
当事者の背後に潜む原因を探り、解決は無理でも理解しようともせずに、当事者の今だけを見てつまみ出すのは、いかがなものなのでしょう…。
寄り添う気持ちを育むには、想像力が必要だと思っています。
現代の都市部に暮らす私達は、想像力が欠乏しているように思えてなりません。
ジョンレノンは、歌っています。
Imagine all the people
想像してみよう、全ての人が
sharing all the world
この世界を分かち合っているってことを
この歌詞の意味から学び、広く開かれた目を養い、他人を理解する(寛容さを持つ)心を育みたいと私は思っています。