店長きょうすけってこんな人


<幼年期~小学校>
・京都府京田辺市に生まれる。ちなみに当時は「綴喜郡田辺町」だったんですよ。
・京田辺市立草内小学校へ進学。ちなみに当時は「田辺町立草内小学校」だったんですよ。
・背の順では必ず一番最後。小学校入学の写真では、他の子よりも頭一つ分デカかった。
・運動は苦手で、好きでもなかった。なのでドラムカンに手足が生えたよーな体形だった。
・母親に強制的にテニスやプール教室に行かされ、ますます運動が嫌いになる。
・小学校6年間で泳げたプールの最長記録は12m。ちなみに今でもクロールとかはできない。
・そのクセ今は背泳ぎならいくらでも泳げる自信がある。だって息継ぎいらないし。
・背泳ぎをいつマスターしたのかは全く記憶に無い。いつの間にかできてた。
・ドリフを観ることは人生の一部だと、割と本気で考えていた。
・小3の頃の愛読書は、吉川英治の「三国志」。読めない漢字が多かったけど何故か読んでいた。
・小学4年で近○電車に子供料金で乗ろうとしたら「中学生だろう!」と駅員に泣かされた逸話を持つ。
・分かり易いように名札を付けて○鉄電車に乗ろうとしたら、「その名札は昔のだろう!」とまた泣かされる。
・正直、当時の近鉄○車はなんか私に恨みでもあったに違いない。
・姉曰く、「夜中に突然起きて、探し物を始めて、結局見つからなくて寝てた」らしいのだが、身に覚えが無い。
・林間学習や修学旅行でも、寝ぼけてウロウロしていたらしい。当然自分では分かっていない。
・ゲーム大好き、ファミコン大好き。カセット100個くらい買った。ちなみに今でも家にある。早く捨てろよ。
・推理モノから歴史シミュレーション、対戦格闘にぷよぷよ、ドラクエにマリオまで、かなり雑食。
・小学校卒業時点で身長169cmだった。


<中学校>
・京田辺市立培良中学校に入学。ちなみに当時は田辺町立(以下略)
・入学して最初の感想は「やった!プールがない!」だった。
・ようやくスポーツに目覚め、バスケを始めるも、怪我がちなうえに度胸がないので、あまり大成せず。
・体重が増えずに身長だけ伸びたので、小学校の頃とは違ってむしろ痩せた体型に。
・放課後は、中学近くのおもちゃ屋の対戦格闘ゲームや、コンビニで買い食いが日課。
・5時間目(午後)の授業から登校して、6時間目をサボって帰ったことがある。何しに来たんだろう。
・職員室の電話で仕出し弁当を頼もうとしたことがある(未遂)。
・お腹が空いて、教職員の昼食を分けてもらおうとして叩き出されたことがある。
・中学2年にして、地元のお好み焼き屋「もっぺん亭」の常連。毎週土曜は必ずお好み焼き。
・あのお店美味しかったのになー。今はもうない。残念。
・マラソン大会の直前には、必ず怪我か病気になる習性があった。
・授業中は寝る。テスト前だけ頑張る。それが私のジャスティス。
・数学は「将来なんの役にも立たない」と思って全く勉強せず。そのせいで今は算数さえできない。
・あまりに学力が偏っていたので、地元の公立高校への進学さえ危ぶまれた。でもなんとか合格。
・受験勉強は進研ゼミだった。役に立ったのかどうかは正直分かりません。


<高校>
・京都府立田辺高等学校へ進学。
・入学式の日、学ランの下がカッターシャツじゃなくトレーナーだったので、早速怒られる。だって寒かったんだもん。
・最初は部活に必ず入らなきゃいけない決まりがあったので、とりあえずバスケ部へ。でもついていけなくて1年で辞めた。
・スポーツは趣味でやるのが一番楽しいなーと、その時悟りましたね。はい。
・学校行事というものが苦手なので、学園祭や体育祭ではいつも浮いていた。
・クラスアンケートの「怪しい人」部門で1位になったことがある。でも怪しくないよ?(゚∀゚)
・盛大に遅刻した時は、教室行く前に学食で腹ごしらえする習性があった。
・背の低い先生に「黒板に答えを書け」と言われ、わざと目一杯高い位置に書いてイヤガラセしたことがある。
・授業中はやっぱり寝る。テスト前だけやっぱり頑張る。私のジャスティスは高校時代も変わらない。
・テストの点数というのは、我々の間では罰ゲームのネタでしかなかった。
・皆でテスト前に目標を掲げる訳です。マニフェストです。守れなかったら罰ゲームと。
・で、マニフェスト違反をして、常連のカレー屋「インドのとなり」で辛さ100倍カレーを食ったことがある。
・その時、何を血迷ったかカツカレーにしてしまい、激辛ルーにまみれたトンカツまで食べるハメになった。
・正直、口の中が痛くて咀嚼とかできませんよあれは。
・ちなみに翌日はお腹壊しました。たぶん水の飲みすぎ。
・内申書の点数を稼ぐためだけに生徒会に立候補したことがある。
・田辺高校の生徒会室はただの犬小屋でした。
・高校3年になったあたりで、ようやく「大学行きたいなー」とか思い始めた。姉に相談したら「手遅れ」とか言われた。
・理由は「英語・数学ができないから」らしい。そりゃそうか。
・一般入試は捨て、一縷の望みを託して推薦入試に賭けることにする。なので夏休み中、論文の書き方ばかり練習する。
・ちょうどその年から「小論文+面接」の枠を設けた佛教大学を受験したら、なんか上手いこと合格する。


<大学>
・入学式が宗教行事っぽかったのでドン引きする。佛教大なんだから当たり前だろうに。
・必修科目に「ブッダの教え」とか「法然の思想と生涯」とかがあって、またドン引きする。佛教大なんだk(以下略)
・特に興味もないのに映画部に入る。部員数が多過ぎず少な過ぎず、丁度いいと思っただけなのだ。
・映画部内でも「怪しい人」のレッテルを貼られる。怪しくないよ?(゚∀゚)
・通学は電車やバスだったが、窮屈でしんどいので原付で行くことにしたら、早速ネズミトリに引っかかる。
・原付で通学中、巻き込み事故を喰らって救急車で運ばれたことがある。
・バイクは怖いなーと思い、セリカGT-FOUR(ST-185)を買って乗り回す。
・「放送宣伝車」で登録したので、セリカのナンバーは「京都88」だった。
・違法?とんでもない。ちゃんとスピーカーついてたからね。隠れた場所に。
・8ナンバーのせいで、おまわりさんにしょっちゅう止められた。そのたびに実演して納得させた。
・女の子との出会いを求めてマクドナルドでバイトを始めたが、モテないもんはモテないらしい。
・出会いを求め過ぎて「出会い系」に走る。そこでメル友になったのが、今の奥様だったりする。
・何を血迷ったか、英会話とか行ってみるけど、すぐ挫折。いいんです、日本語さえ喋れれば。
・就職活動もせず、なんとなく卒業してしまう。フリーター万歳。


<フリーター~社会人>
・マクド生活に疲れ、クロネコヤマトでバイトを始める。トラックの運転おもしれーとか思ってしまう。
・何が面白いって、クロネコのトラックは、大半がコラムMTだったんですよ。
・コラムシフト、つまりハンドルの左側からシフトノブが生えてるんですよ。しかもMT。昔のタクシーみたい。熱い!
・クロネコのトラック(緑色のやつ)は、トヨタ・クイックデリバリー(QD)という。通称「デリ」。
・正直あの車は自家用車としてほしい。いや割とマジで。
・ちょっと前までは普通にトヨタのディーラーで買えた。2011年に生産中止になったそうです。
・トラック運転を始めて2日目でバック事故起こして涙目。でもその後はなんとかぼちぼち頑張る。
・仕事的に役立つかと思って、フォークリフト免許に大型免許、果てはけん引免許まで取得。トレーラーだって乗れます。
・その一方で、パソコン関係の資格もほしいと思って初級シスアドとか取る。
・原付でネズミトリに引っかかるのがイヤなので、バイクの中型免許も取る。
・免許が多過ぎて「免許マニアですか?」とよく訊かれる。ほっといてください。
・ヤマト運輸で「社員にならないか」と勧められたが、内情を見ているとどうもキツそうなので、事務職を選ぶ。
・当時の彼女に「結婚する気あんの?」と鬼の形相で詰め寄られ、ビビッて結婚を決意。
・本人曰く、実は「プロポーズでもなんでもなかった」らしいんだけど、正直(´・ω・`)しらんがな。
・事務仕事と人間関係がイヤになって1年で辞め、結局ヤマト運輸へ。
・人員の関係で、元々所属していたセンターとは違うところへ配属される。ちなみに木津川市のセンター。
・その後、京田辺センターに転属するも、労働時間が長過ぎ、調子を崩して退職。
・ヤマトよりちょっとユルい運輸業を探して辿り着いた会社が、ヤマト運輸の下請けだった。なんでやねん(゚д゚)
・給料は下がったが、ぼちぼち子供との時間も取れて満足、数年務める。下請けって気楽だなー。
・その間に妻がまつげサロンを立ち上げたりしたので、経理関係の勉強もしつつ。
・しかし、長年の肉体労働がたたって、椎間板ヘルニアを発症。
・「会社辞めて、製菓材料店のお店番をしなさい。そうすれば腰も治る」と妻に言われ、はいそうですかと今に至る。





と、おおよそこんな人生を歩んできております……

どうぞ、宜しくお願いします。