吾郎さん新垣さんWガッキーの映画正欲を観てきました。



実は原作を2/3読んだところで一旦止めておいての、鑑賞です。



群像劇で吾郎さんの役は検事で、どこで他の登場人物たちと繋がるのか?と思っていたんですが。

なるほどね、最悪の形で繋がってしまったわけだけど、

でもそれは原作通りなのかな?後で確かめてみます。






◯◯フェチとか性的指向とか、時として事件なったりとかすると、こういう人もいるのね!ってその程度の感じで思うのだけれど、この物語に出てくる主要人物のうち4人は、何を基準にマイノリティとかマジョリティとかで区分するのかはわからないけれど、所謂マイノリティ。で、誰にも本当の自分の姿を見せずに生きているわけで、その姿が非常にしんどそうなんだよね。

だけど、普通って何なのか?今現時点の普通は近い未来には違うものになっているかもしれないし。

だけどそんな曖昧なものに囚われながら、多分多くの人は折り合いをつけながら生活しているんだろうな、なんて思った次第。







昨日のななにー地下ABEMAではLBGTQについていろいろな見解が語られていたけれど、理解するとか云々ではなくて、要はひとつの個性として向き合うことがいちばん大事で、ちゃんと居るべき場所があるというか。

映画を観たあとの一つの答えを、ななにーの中に見つけた気がした。




映画のラストでガッキー扮する夏月もちゃんとそのことを言っていて、それを聞いていた所謂マジョリティの部類に入っているはずの吾郎さんの瞳がどんどん変わっていって。




ネタバレになるので細かいことは言えないけれど

本当なかなか見応え、考え所がある映画でした。