「あなたが記録している2025年のわたしとの全会話から私の最大の強みと、逆に無意識に避けて来た課題を心理学的な視点で鋭く分析してください」

これ知ってますか?

 

2週間くらい前から、ノートを付け始めました。

思えば、フルパートの仕事を辞めてやったことは、バレットジャーナルを書く事でした。

 

仕事辞めてから、やらないといけないことが色々あって、考えることも山ほどあって、ノート付けることにしたんです。

考えることがなくなって、やらないといけないこともなくなって、書かなくなったんですが、また始めました。

 

目標立てるのも苦手だし、効率を考えるのも、予定入れるのも嫌いで、そういう生き方にしようと思ってそう生きたんですが、思うように生きれませんでした。

 

わたしの頭の中は取っ散らかりやすく、思考はあちゃこっちゃに飛んでいくのです。

 

スケジュール帳というよりは、わたしのやること管理。あれ?同じ?

それから、思ってることと、やってることと、言うことを一致させる作業の管理。

 

あまりにも自由なので、ダラダラ過ごしてしまうのです。

 

そうだ、きっかけがありました。

「あなたが記録している2025年のわたしとの全会話から私の最大の強みと、逆に無意識に避けて来た課題を心理学的な視点で鋭く分析してください」

ていうのを、SNSでみつけたので、chatGPTに投げてみたんです。

それを踏まえて何をしたらいいかを聞いたら答えが来て、なるほどな、と思ってノートに付けることにしました。

 

・自分の欲望を主語にすることへの遠慮。

これです。(他にもあるけど)で、タイトル「わたしは本当はiPadが欲しい」です。

 

でもこれ、怖くて買えない(笑)。

ちょっと待って、もうちょっとだけー!!許してー!!わたし。

 

まぁ、だから、バレットジャーナルは、自由度高くて楽しいです。

目標は目の前に置き、遠くは決めないのが、わたしです。

何にも分からないのです、先の事になると途端。

出来る事はそんなに多くないです。

で、そのハードルは結構高い。でも、簡単なのです。

 

tiktok始めました。

 

見てね。絵の練習配信してます。

昔から思っていました。

「人の役に立ちたいと言える人は自分に自信があるなぁ」

わたしはいつも自信がなくて、人の役に立てるなんて思えなかったから。

でも、「役に立ちたい」というのは気持ちだから、出来るどうかは別の話でした。

 

役に立ちたいより前に、「役に立てない」が先に来ていたから全く思えなかったのですが、何でも出来ると考えてみても、それほど興味がなかったことに気づきました。
 
世の中には、「人の役に立ちたい」という、漠然とした欲望?わたしが絵を描きたい、と同じ意味合いの方々がいるのだなぁ、と不思議な気持ちになりました。
 
それほど役に立つことに欲望はないのですが、役に立ったら嬉しいのです。
人が喜んでくれることが嬉しいから。ああ、そうか、役に立つことではなくて、喜んでくれることなのだな。
 
人に喜ばれる、笑ってくれる、というのが幸せだな。
わたしの魂の報酬は、人が笑ってくれることです。
だから、笑顔になってくれないと、なぞに凹んしまう。
でも、わたしのエゴなので、それは自由にさせてあげないと、と良く思います。
 
笑わない人、怖いかも。どうかな?自分がわざとらしくニコニコしなくなって、ちょっとは気にならなくなったんだけど。
 
緊張した時とか不安な時は、やってしまってるのかなぁ。
たまに気づくのですよ、「前まではこんな風な表情してなかったかも」って。
接客業してたら、その方が良い気がするけど、どうだろう。
わたし気づいたのですよ、真剣な時は笑わない方がいいし、謝るときも笑わない方がいい。
あたし、いつも笑顔作ってたんですよ。怒られてる時はしないけど、たぶん、説明するときとかたぶん。
無意識でしてることってほんとにいっぱいあります。
だから、意識を変える、ってホントに大切で、それは実感しないと変えられない場所。
 
最近思うのは、人を遠ざけてしまってることです。無意識化で、傷つきたくなくて、傷つけたくなくてやってしまうこと。
これ、ホントに、人生の課題かもってくらいわたしの中に居座り続けてるなぁ。
人との付き合いが続かないんです。いつも、ちょっと引いてしまう。相手にゆだねる、自分で決めない。
わたしは、こうしたい。って普通にさらっと、当たり前に出来るようになって行きますよ、わたしは。
 
まず、言葉を変えていこう、って、カウンセラーの先生も言ってたし、「なればいいなぁ」とか「したいなぁ」じゃなくて、「します」「行きます」ってやつ、よく聞くけど、意外と口に出来ないのです。
だって、出来なかったら、不誠実になるやん。
これも、逃げ道なんだろね。
「やります」そして、出来なかった、を許してあげてよ。
さらに自信なくしそうで怖いよねー。
 
 

image

今のところほぼ誰も見てないブログですが、突然誰かが見てくれるんですよ、当たり前だけど。

だから、気を抜かずに本気で書かないと・・・、わたしずっと本気だった(笑)。

 

本気すぎるとこがあんま良くないことです。

 

だって、わたしの気持ちとか、どうでもいいやん。

 

昔、と言うか、初めて知らない人から似顔絵の発注受けた時、母に「なんか感情がわーなって」って言ったら

「あんたの気持ちなんてどうでもえーやろ。誰も」

と言われて、ハッとしました。

確かに、相手にとって、わたしが自信なかろうが、不安だろうが、全くどうでもいいことだ。

 

たぶん何故か言い訳をしたかったんだと思うけど、あの頃のあの気持ちをどうするかと言われても、どうも出来なかったな、と思います。

でも、いい経験でした。

グッと胸に来る出来事は、ちゃんと教訓になるからな。

わたしは絵については、自信がなかった訳じゃない。

出せるモノになるまで描くから。

でも、自分に自信がなかったんです。

自分のままでいいんだ、って気持ちで始めたけど、こどもみたいでもダメだ、って、思う出来事もあって、急にわーってなってしまいまして、謎に凹んだあの頃(笑)。

 

40も半ば、ホントに挑戦をして来なかったわたしは、ほぼ何にも自信がなかった。

いつも子どもみたいな顔して、何も知らない顔して、何も出来ないを掲げて、「わたしは何も悪くない」って顔で生きて来ました。

ホントに可哀そうなわたし(笑)。

 

何にも辛いことなんてなかったのに、わたしが辛かったのは、自分を信じることがどういうことか知らなかったからだ。

「誰もわたしを分かってくれない」「誰もわたしを許してくれない」と思っていたことが全てをダメにしていたんだけど、そんなの知らんし(笑)。

今も分からんのです。

あの頃のわたしに何を言ったら、楽にしてあげられていたのか。

43歳のわたしだから受け入れられたことだったんだろうか?

 

あ、そう言えば、地元の友達に、わたしと同じ様な体験をしていた人がいました。

「今まで自分が嫌いだったけど、今は好きになった」

と言っていました。

自信ないようには見えなかったんだけどなぁ(笑)。

 

 

 

PR漫画を描いていて、「人は何に惹かれるか」「何が出来るか」「どこがポイントか」「何を伝えたいか」「キャッチーに」とか考えていると、だんだん表現が強く過激に、誇張したモノになって行っていることに気づきます。

 

だんだんそんな気分になって来るのです。

ユーチューバーが過激になって行くのも、サムネが釣りになってしまうのも、広告が詐欺になるのも、なんだか分かって来てビビります。

 

元来わたしは自信があり、サービス精神も結構ありますので、怖い、とちょっと思うのでした。

 

 

なんでこれ、こんなに元気いっぱいで明るいの?

(笑)でも、本当はわたしこんな人間だし。

夢と希望しかない訳ないし。

でも、夢と希望しかないし。人がどんな風に受け取るかは、自由かな?と思いまして。

とか、↑これ、実は言い訳です。

バランス取ってる。こころの。見てる人ほとんどいませんので、言い訳させて、でも、これは言い訳ですよ?ホントは良くない。

 

わたくし、誠実な人間でしょうか?とたまに思います。

自分で自分から逃げてしまうところがあります、きっと。

 

コミュニケーションを取るとき、いい加減さや、嘘をつくことは悪いことではなかったんだな、と気づいたのは、数年前です。

相手が何を求めているか、今どうして欲しいのかと、自分のどうしたいのか、を真面目に考えすぎてしまうところがあります。
でも、「自分」にこだわらなければ、相手が求めることが出来る。それでわたしはとっても楽になれる、ということもありました。
 
責任取るのが怖いから、普段から「責任取らなきゃ」と思っていて、どうでもいいときに責任取ろうとして、ホントに責任持たないといけないときに、持てない、ということが起きてる気がします。
具体的じゃなくて伝わらないだろうなぁ(笑)。
 
犯罪を犯してしまう人って、こんな感じなんじゃないかなぁ。
嘘は泥棒の始まり(笑)
 
まぁ、でも、本音で生きたいもんです。
そんで、どうでもいい事柄は、どう思われたっていいよね。

yukayukaです

 

わたしは魂の乗った顔が好きです。

(笑)そらそうか、と思うけど。

 

似顔絵を初めて描いた時「わたしを描いて」と言った人は、体で自己表現するタイプの人だったから写真がたくさんあって、とってもイメージがしやすい人でした。

評判が良かったので気を良くして、似顔絵描いて欲しい人を募って何人が描いて行きましたが、描くのがつらい人と言うのがいました。

技術が足りないなぁとわたしは思っていたのですが、写真を選んでいるとき、言われました。

「ゆかさんは、嘘の顔を見抜けるんですね。」

 

魂の乗った顔は素敵にみえる。

それは誰もがみんな知っていることです。

なのに、本人はあまり分かっていない謎です。

 

でもこれ、普段はそんなに重要じゃないので、わたしも特に気にしてないんですが、「絵を描こう」と思うと発動します。

無意識で、その人はどんな人か感じようとしているのです。

 

けれども、そこに存在している人は、確かに素敵な存在として、目の前にいるのに、どうして上手く描けないんだろうと、頑張りました。見たまま、その人の生のエネルギーを絵に乗せようと。

 

それで技術は上がって、どんな人も描けるようになりましたが、面白いことが分かって来ました。

 

嘘の顔は嘘っぽくなってしまうのです。

笑顔、違う人は結構います。

そういう人は、笑っていない方がわたし的には絵になるのですが、誰もそんな顔好きではないので、送って来てはくれません。

笑っていない方が、魂乗っているからでしょうね。

 

父の顔を描いたことがあったんですが、彼は絶対に嘘の表情はしません。

わたしの撮った写真は、なんかどんよりしていましたが、出来上がった絵はとっても気に入ったものになりました。

 

それは、わたしの意図とは違って、勝手にそうなってしまう現象です。

 

魂の乗ってる顔、っていうのは、どれだけ自分の本当の顔で生きているか、ということに関わっているのだと思います。

 

個人的には、嘘ついてても、それがその人の「生」で、生き方ですので、悪いこととは思いませんが、「魂の乗ってる顔」は誰から見ても魅力的だし、楽です。

 

出来上がった絵は、周りの人より、本人の方が違和感を覚えやすいかもしれません。

自分の素敵さを自分が知っているからです。

 

面白いなぁ。

 

わたしは毎回、魂を乗せようと頑張っているんですが、絵は、わたしの意図通りに出来てくれません。