10月1日~11日まで 
gallery hydrangea  企画公募グループ展『#戯の森 』
幽閉森ガールのトルソーと、をとめ芋虫の球体姉妹で参加です。

https://twitter.com/AjisaiGallery/status/1285768109228318720


裁縫箱かたづけ。
なんでもつっこんでいたら蓋がしまらなくなりました。
探していたものがみつかったりもしつつ、カオスを鎮圧。



やっと蓋がしまるようになった。

 


このレトロな裁縫箱ですが、数年前に注文購入したもので新品です。
デッドストックとか中古とかではないのです。
これを作る職人さんは、現在日本にお1人を残すのみとのこと、
その方から作っていただきました。
大事に使いたいです。(実行しろ)

子供の頃、家にも同じような裁縫箱が複数あり、
母のものでした。
ある日情緒を乱した私が、いかにも昭和の生活感を嫌って
処分してしまったのですが、とても後悔。
後悔したことを思い出すのも辛いほど後悔したのでした。

使っているのは懐古趣味からではなく結局、この機能が合理的だからです。
でも副産物として、部屋にこの裁縫箱があると存在そのものに価値があります。
その価値とはなにか、と考えると。
「裁縫箱が部屋にあるような生活」、という歴史の一部に自分になっているという奇妙な実感です。
人間の営みの中に確実に存在する裁縫という歴史の一部。
歴史の中には闇も悲劇もあるかもしれない。
でも自分が何かの一部となったと感じられることが今の自分には必要なようで。
むかしにはなかったこの気持ち。

なんらかの歴史に属することには価値があるのだ、ということを意識したのは
キルトに綴る愛 How to Make an American Quilt という映画をみた
ずっと昔のこと。
映画を面白いとおもった記憶はなく、概念だけ残っているのです。

そのときピンとこなかったけれど、
これがあの映画の気持ちだとあるとき私は思い、
自分の中のその感情に執着すらもったのでした。

たとえば小さな布をコツコツ縫い合わせているときなど
遠い北国で手をかじかませながら仕事するまだ若いお針子や
赤道近くでわらじを編上げる老婆などと自分はへその緒のようなもので
時間や場所を越えて繋がっており、そのへその緒は私が消えた世界でも
連綿と紡がれていくのだ、と確信が持てるのです。
この世に、私が確信を持つことなど数えるほどもなく
これはかなり特別な気持ちと呼べましょう。

それにしても裁縫の道具が増えるばかり
いらないものは処分しょうとおもいますが
何度チェックしても使うものばかりなの。なんで??減らせない。