2010年10月
Kの放射線治療が始まった
1日2グレイずつ
週5日×5回の予定



照射の無い土日は、毎週、自宅に外泊出来た



前半、あまり変化は見られず髪も抜けなかったが、嘔吐が二日目から激しくなり、いきなり噴水のように勢いよく吐いてしまうため、本当に辛そうでかわいそうで見ていられなかった

何度も吐くと、体力もかなり奪われるようだった



頭痛もひどくなり、仕事中、「頭痛い」というメールが沢山くるようになった

これは照射によって一時的に脳が浮腫み、それでなくてもギリギリ一杯の隙間の無い脳が更に圧迫されることによって起こる



照射自体に痛みは全く無く、あっという間に終わってしまうと言っていたのが唯一救いだった



髪の毛は抜ける気配もなくて、さすがKは強いなと思っていたら、後半になってから急に一気に抜け始めた


あれ?最近、何だかやけに髪の毛がベッドに落ちてるなと思っていた程度が、それからすぐにあっという間に量が増え、あちこち抜け毛だらけになってしまった


看護師さんからコロコロがあると便利と聞いて、すぐに買って使い始めた



照射がもう少しで終わろとしていた時期には、髪の毛はもう耳の周りと襟足にうっすら残っているだけで、ほとんど無くなって、頭のてっぺんの茶色くこげたような跡が痛々しく残った

ゴルバチョフ元ソ連大統領みたいな感じだった



それでもほとんど痛みは無く、痒みの方が強いらしかった

私は、乾くとカサカサして痒みが増しそうだったし、跡がなるべく残らないように軟膏をせっせと塗って手当てをした



嘔吐が治まると、またすごい食欲でどんどん食べるので、体重は相変わらず増えるが、手足はか細く頼りなく、肩や背中に肉が付く、片寄った太り方がかなり目立ってきた

急激に増えた体重を支えるのも大変だった



当時は知らなかったが、これはクッシング症候群という病気の症状に酷似していた



バッファローハンプ(野牛肩)と ムーンフェイス(満月様顔貌)

副腎から出るコルチゾールの値が増大することが原因の病




息子の場合は大量のステロイドの副作用によって、この病気と同じ症状が起きていたようだ




目が見えにくくなってきたようで、手探りで右側に置いたコップを探すような仕草をしたことに気付いた時はとてもショックだった



でも、Kはそんな変化を当たり前のように受け入れ、不自由さを私に訴えることはしなかった

毎日少しずつ症状が進むので、もしかしたら本人も気付いていなかったのかもしれない



照射が始まりしばらくして、看護学生さんが実習でKと将棋をして遊んでくれた


コマの動かし方は間違っていなかったと後で聞いたが、少し前はオセロも出来なくなっていたのに??



院内学級の数学の授業の後も、よく出来ていたと聞いた
冗談も言って笑ったらしい
少し明るい兆し…かな?



メールは「ママ大好き」「おやすみ」がたくさん届いた

「Kくんはこっちの病院だよ」というのもあった…??



電話も仕事中でも何度もかかってきた
「どうしたの?」と聞くと、「何でもない」とだけ



きっと、寂しかったんだよね汗
忙しさで余裕が無くて、Kくんの気持ち分かってあげられない本当に情けないママだった



主治医の先生から、退院の話が再度あった
放射線治療が終わったらと
バタバタしないように、少しずつ準備をしていこうと


とうとう退院か
私は不安だらけだった



こんな重病の子を抱えて、設備の整ったこの病院から離れる恐怖
自宅で万が一何かあったらと考えただけですごくすごく怖かった



Kに何かあったらどうしよう?
学校は?
仕事は続けられるの?
辞めたら、今やっている代替療法が続けられなくなる


素直なKは、私や旦那の言葉で、この病気が治ると信じて疑わず、退院と聞けばきっと喜ぶだろう



私も毎日の病院、自宅、職場のトライアングル通いから解放され、体も少しは楽になるかもしれない



でも、それ以上に色んな不安があったし、こんな状態で退院と言われても見放されるようでやはり辛かった


ここの病院の主治医の先生は余命があとどれくらいとは決して言わなかったが、Kの病気の場合は限られた時間だから自宅で過ごせるうちに早く帰った方が良いと考えていたんだと思う



同じ脳腫瘍の子でも、放射線治療はとっくに終わり、化学療法の為に1年近くも入院治療して院内学級にも通っている子達ばかりの中、どうしてうちだけは違うの?



退院、退院と急かされているように感じて、辛く、孤独感の持っていき場が解らなかった



ちゃんと治ってないのに退院?と、まるで聞き分けの無い子どものように、気持ちがそこから離れられなかった



Kの病気は治らない

そんなことは何度も聞いた


症状が落ち着いているうちに自宅で普通の中学生らしい生活を

それも分かってる

でも、もうこれじゃ普通は無理でしょ?



気持ちが全然ついて行けてなかった



もう病気になる前の面影は何もないから、戻っても説明無しには誰も分からないだろう
全くの別人のようだから



あんなに元気一杯で可愛かったKは、病気のせいで変わり果てた姿になってしまった



全力でKを守らなければならない母親の私の精神状態は、常にギリギリで張り裂けそうだったけれど



差し迫った自宅での生活を念頭に入れて、その後、近くの病院(リハビリ、緊急対応)や学校など、Kが生活する上で必要な環境を整えていくことになる