2010年9月
大阪の病院から、セカンドオピニオンのまとめが自宅に郵便で届いた




それまで、こうしたきちんとした形の文書でKの病気について書かれたものを頂いたことはなく




私の母や父をはじめ家族への病状の説明は、主治医の先生から聞いた内容を全て口頭で伝えていたが




Kの病気についてより理解を深めてもらう意味で、私はこれをコピーしてみんなに渡し、読んでもらった




極めて希な疾患であり、治療法は確立していない

治療法選択にあたり、GradeⅢ星細胞系腫瘍に対する治療法を元にして考えざるを得ない

中略

造影効果が認められないことから、この後、期待できるかもしれない薬剤はニドランくらい

放射線治療後の後療法として、あるいはインターフェロンとの併用という方法もある

これにテモゾロミドを組み合わせることも考えられる

放射線治療が最も有効と考えられ、線量も多い方がより効果が高いと考えられるが、障害との兼ね合わせで考える必要がある


基本的に予後が限られている疾患と考えるべきで、限りある人生であることを念頭において、QOLを重視した治療及び生活設計が必要

ご子息の幸運をお祈りしております





入院、手術も経験したし、病気によってだんだん変わっていく息子の様子を間近で見ていても、果して本当に治らない病気なのか未だに信じられないという気持ちと、奇跡のようなことが起こりはしないかという期待を、この時まではまだみんなが少なからず持っていたのではないかと思う




でも実際、このように専門家の手で書かれた文書を手にしてしまうと、正気に戻される
淡い期待も粉々に打ち砕かれ、私と旦那の両実家とも厳しい現実を改めて突き付けられたようだった




「Kくんがね…どうしてなのかね…」

それっきり黙ってしまった母




末期ガン患者のガン細胞が、ある日突然きれいさっぱり無くなったなどと耳にすることがあるが、何らかの作用でそうした奇跡みたいなことが起きないとも限らないのではないかとセカンドオピニオン時に大阪の先生に話したら、息子の病気でそんなことは100%ないと断言されたことも伝えた



それでもまだ、うちは違う、例外なのではないかという期待を、この時の私はまだ完全には捨てきれてはいなかった




希望がなくては生きていけないから




家族みんなが心の奥底では同じ思いだったのではないか




信じられない最悪の出来事が突然、私たちを襲った




普通の人が当たり前に享受している幸せを、何の予告もなく突然、取り上げられた




出来るだけ長く普通の中学生らしい生活が送れるように




このセカンドオピニオンの結果を踏まえて、今後の治療について主治医の先生と話し合いが持たれることになった




この頃の私は、相変わらず、早朝、薄暗い時間に起きて、朝ごはんの時間までお腹が持たない息子に軽食を食べさせてから、仕事に向かっていた




お腹が満たされて、うつらうつらの息子にバイバイをして、静まり返った病院の廊下をそっと通り抜け、車に乗る




高速道路を走りながら、いつもNHKのラジオ英語を聞いていた

開始時間の前に流れるオルゴールの優しい曲-インターバルシグナルが今でも頭から離れない




息子の闘病時を振り返る時、この曲と一体化して思い出される

時には号泣しながら聞いたこの曲




あんなに涙を流したことはそれまで無かった

この先、一生涯、もう無いと思う