病院から外泊許可が出て、お盆休みには自宅に帰れることになった
Kは早く家に帰りたくて仕方ない様子だった
「病気が治ったら、家に帰ってまたみんなで幸せにくらそうね!」なんてメールをよく私にも旦那にも送ってくれた
そんな時、先生から話があると呼ばれ、個室に通された
群馬大学に送った標本の検査結果が出て、病名が膠芽腫ではなく、グリオーマトーシスセレブリーに変わったと言われた
悪性度もグレード4から3に一つ下げられたと
それまでの話では、膠芽腫のグリオーマトーシスセレブリー状態と聞いていたのでややこしかったが、とにかく膠芽腫ではないということと、悪性度が一つでも下がったことがとても嬉しかった
でも、すぐには信じられなかったので、「では膠芽腫ではないんですね」ともう一度確認しところ、確かに先生は違うと言ってくれた
化学療法の後の血液検査の値も問題ないので、引き続き今の治療を続けるとのことだった
私は嬉しさで踊るような気持ちで、旦那と姉にメールした
発病後すぐにネットで調べ、膠芽腫だと平均余命が一年にも満たないと知っていたので、膠芽腫ではないということで最悪の状態からは脱したと感じた
でも、グリオーマトーシスセレブリーの方が症例が少ないし、小児のデータは更に非常に少ない希な病気なのだ
しかも悪性脳腫瘍であることには変わりない
当時はグレードが一つ下がったことで、まるで病気が治ったかのように大騒ぎしたが、3も4も大した差ではなかったのだと今は思う
お盆休みは私も仕事が休みだったので、久しぶりにKと娘と一緒に過ごせることがとても楽しみだった
外泊することになっていた日は午前中に病院を出る予定だったが、PETの検査が夕方から入っていることが分かり、大事を取って帰宅を一日延期した
私もKも知らされていなかった急な日程変更だったので、先生が謝りに来てくれた
Kはその日、夜にトイレに二回起きて、私の介助で失敗なく出来、自信を持てたようだった
次の日、検査は無事終わり、いよいよ外泊の日になった
子ども達二人にくっついていられることが幸せだった
外泊中は、Kが好きなものを沢山作ってあげ、沢山食べた
Kはみるみる体重が増えていった
外泊中はよく笑い、よく食べた
その後も土日には外泊して自宅に帰れるようになった
その間にお友だちやホッケー関係者の仲間が自宅にお見舞に来てくれた
Kは一時の落ちていた時に比べると、だんだん本来の明るさを取り戻して、よく笑うようになってきた
まだ、外泊だけれど家に帰れるようになったことが本人にとって良かったのかもしれない
しかし、この間にも、この病気の恐ろしさを忘れるなとでも言うように、激しい頭痛と嘔吐は忘れた頃に突然起きてKを苦しめ、私たち家族の心をその度にどん底に突き落とした
あくびも頻繁で眠気も強かった
病院のソーシャルワーカーさんに色々と相談に乗ってもらった
院内学級のことを尋ねると、入院はそう長くないので、退院して地元の学校に通う方向でと言われた
でも、こんな状態で退院と言われても不安が大きかった
病気が急速に進行しているこの状態で学校に行けるのか?
私たちみたいな素人だけで、何かあったらどうすればいいの?
入院していた方がKには安全なのではないか?
抗がん剤で免疫力が落ちていると言われたのに集団生活は危険ではないの?
私は取り合えず病状が落ち着くまで入院は継続し、院内学級に入れてもらい、もう少し安定してから退院させたいと伝えた
病院ではリハビリ以外やることがなく、寂しそうに過ごしているKに、同じような境遇の子達と友達になってもらい、少しでも楽しみを作ってあげたかった
Kもそれを望んでいた
でも先生は院内学級は行けないと言った
理由は言われず、見放され、仲間はずれにされたようで悲しかった
うちはどうせ短い命だから、急にいなくなって他のお子さん達に影響があってはいけないと先生は考えているようにしか思えず、とても辛かった
先生は今のこの状態で安定しているとみるべきなのかもしれないと言った
現状維持を目標に、点滴では退院出来ないので、薬で状態をコントロールする
中学生らしい、出来るだけ普通の制限の無い生活を送ることが出来るようにしてあげることを考えることだと言われた
やはり先生から、Kの命がもう長くないから早く退院を迫られているように感じてしまい辛くなった
現状維持なんかじゃなく、もっと治す方向で治療に臨んで欲しい
こんな状態では地元の学校に通うなんて出来るわけがない
車椅子で階段なんて無理
トイレも行けない
頭痛や急な嘔吐に学校が対応できるの?
しかし先生はやはり放射線はまだその時ではないと
MRI、PETの結果からみても進行は見られないと
退院は今週からでもと言われてしまい、更に不安になってしまった
Kは早く家に帰りたくて仕方ない様子だった
「病気が治ったら、家に帰ってまたみんなで幸せにくらそうね!」なんてメールをよく私にも旦那にも送ってくれた
そんな時、先生から話があると呼ばれ、個室に通された
群馬大学に送った標本の検査結果が出て、病名が膠芽腫ではなく、グリオーマトーシスセレブリーに変わったと言われた
悪性度もグレード4から3に一つ下げられたと
それまでの話では、膠芽腫のグリオーマトーシスセレブリー状態と聞いていたのでややこしかったが、とにかく膠芽腫ではないということと、悪性度が一つでも下がったことがとても嬉しかった
でも、すぐには信じられなかったので、「では膠芽腫ではないんですね」ともう一度確認しところ、確かに先生は違うと言ってくれた
化学療法の後の血液検査の値も問題ないので、引き続き今の治療を続けるとのことだった
私は嬉しさで踊るような気持ちで、旦那と姉にメールした
発病後すぐにネットで調べ、膠芽腫だと平均余命が一年にも満たないと知っていたので、膠芽腫ではないということで最悪の状態からは脱したと感じた
でも、グリオーマトーシスセレブリーの方が症例が少ないし、小児のデータは更に非常に少ない希な病気なのだ
しかも悪性脳腫瘍であることには変わりない
当時はグレードが一つ下がったことで、まるで病気が治ったかのように大騒ぎしたが、3も4も大した差ではなかったのだと今は思う
お盆休みは私も仕事が休みだったので、久しぶりにKと娘と一緒に過ごせることがとても楽しみだった
外泊することになっていた日は午前中に病院を出る予定だったが、PETの検査が夕方から入っていることが分かり、大事を取って帰宅を一日延期した
私もKも知らされていなかった急な日程変更だったので、先生が謝りに来てくれた
Kはその日、夜にトイレに二回起きて、私の介助で失敗なく出来、自信を持てたようだった
次の日、検査は無事終わり、いよいよ外泊の日になった
子ども達二人にくっついていられることが幸せだった
外泊中は、Kが好きなものを沢山作ってあげ、沢山食べた
Kはみるみる体重が増えていった
外泊中はよく笑い、よく食べた
その後も土日には外泊して自宅に帰れるようになった
その間にお友だちやホッケー関係者の仲間が自宅にお見舞に来てくれた
Kは一時の落ちていた時に比べると、だんだん本来の明るさを取り戻して、よく笑うようになってきた
まだ、外泊だけれど家に帰れるようになったことが本人にとって良かったのかもしれない
しかし、この間にも、この病気の恐ろしさを忘れるなとでも言うように、激しい頭痛と嘔吐は忘れた頃に突然起きてKを苦しめ、私たち家族の心をその度にどん底に突き落とした
あくびも頻繁で眠気も強かった
病院のソーシャルワーカーさんに色々と相談に乗ってもらった
院内学級のことを尋ねると、入院はそう長くないので、退院して地元の学校に通う方向でと言われた
でも、こんな状態で退院と言われても不安が大きかった
病気が急速に進行しているこの状態で学校に行けるのか?
私たちみたいな素人だけで、何かあったらどうすればいいの?
入院していた方がKには安全なのではないか?
抗がん剤で免疫力が落ちていると言われたのに集団生活は危険ではないの?
私は取り合えず病状が落ち着くまで入院は継続し、院内学級に入れてもらい、もう少し安定してから退院させたいと伝えた
病院ではリハビリ以外やることがなく、寂しそうに過ごしているKに、同じような境遇の子達と友達になってもらい、少しでも楽しみを作ってあげたかった
Kもそれを望んでいた
でも先生は院内学級は行けないと言った
理由は言われず、見放され、仲間はずれにされたようで悲しかった
うちはどうせ短い命だから、急にいなくなって他のお子さん達に影響があってはいけないと先生は考えているようにしか思えず、とても辛かった
先生は今のこの状態で安定しているとみるべきなのかもしれないと言った
現状維持を目標に、点滴では退院出来ないので、薬で状態をコントロールする
中学生らしい、出来るだけ普通の制限の無い生活を送ることが出来るようにしてあげることを考えることだと言われた
やはり先生から、Kの命がもう長くないから早く退院を迫られているように感じてしまい辛くなった
現状維持なんかじゃなく、もっと治す方向で治療に臨んで欲しい
こんな状態では地元の学校に通うなんて出来るわけがない
車椅子で階段なんて無理
トイレも行けない
頭痛や急な嘔吐に学校が対応できるの?
しかし先生はやはり放射線はまだその時ではないと
MRI、PETの結果からみても進行は見られないと
退院は今週からでもと言われてしまい、更に不安になってしまった