想像してみてほしい---もし想像がつくなら、の話だが。

 あなたに良心というものがかけらもなく、どんなことをしても罪の意識や良心の呵責を感じず、他人、友人、あるいは家族の幸せのために、自制する気持ちがまるで働かないとしたら……。

 人生の中で、どれほど自分本位な、怠惰な、有害な、あるいは不道徳な行為をしても、恥をまったく感じないとしたら。

 そして、責任という概念は自分とは無縁のもので、自分以外のばかなお人よしが文句も言わずに引き受けている重荷、としか感じられないとしたら。

 さらに、この風変わりな空想に、自分の精神構造がほかの人たちと極端にちがうことを、隠しおおせる能力というのもつけ加えてみよう。

 人はだれでも、人間には良心が当然備わっているものと思い込んでいるから、あなたはなんの苦もなく自分の良心がない事実を隠すことができる。あなたは欲望を罪悪感や羞恥心によって抑えられることもなく、冷酷さを他人から非難されることもない。あなたの血管を流れる冷たい血はあまりにも特異で、完全に他の人たちの経験を超えているため、他人にはあなたという人間を推し量ることさえむずかしい。

 言い換えると、あなたは良心の制約から完全に解き放たれていて、罪悪感なしになんでもしたい放題にできる。しかものそのうえ、良心に歯止めをかけられている大多数の人びとのあいだで、あなたが一風変わった有利な立場にいることは、都合よく隠すことができ、誰にも知られずにすむのだ。

 そんなあなたは、どんなふうに人生を送るだろう。自分は巨大な能力を隠し持ち、他の人たちはハンディキャップ(良心)を抱えている、という条件をどんなふうに生かそうとするだろう。

 答えは、あなたの欲望しだいで変わってくる。人はみなそれぞれにちがうからだ。

 良心のあるなしにかかわらず、怠けることの心地よさが好きな者もいれば、幻想や激しい野心に突き動かされる者もいる。頭の切れるすぐれた才能の持ち主もいれば、頭の回転が鈍いものもいる。暴力的な者も、暴力を嫌う物も、血に飢えた者も、そんな欲望がない者もいる。

 

 

マーサ・スタウト著

「良心をもたない人たち」より