生きていると、何かを思い、考える。それをこうしたSNSに、文章で表現しようとすると、大抵は自分の言いたいことが、すでに他の誰かに言われている。加えて自分よりもずっと上手く表現していたり、そういう見方もあるのかという驚きを受けることも多い。


 私はプロボクサーであるメイウェザー選手の、


「お前らが休んでいるとき、俺は練習している。 お前らが寝ているとき、俺は練習している。 お前らが練習しているときは、当然俺も練習している。」


の言葉が好きなのだが、この言葉に対して多くの人達が共鳴し、自分の言葉で意見や感想を述べている文章を見る。

 ただ、今更気付いたことなのだが、この意見や感想は正確には、自分の言葉では無いのだ。メイウェザー選手が、プロボクサーとして自らの行動から生じた、「真の」言葉に対して、共鳴した周囲が述べた、あくまで2次的、3次的な言葉になる。

 行動をし、行動によって生じた言葉だけが、1次的な真の言葉なのだ。それを発した者が偉人と呼ばれ、その言葉が名言として語り継がれる。


 ここに書いた内容も、もっと優れた他の誰かが、すでに書いているに違いない。先を行く者だけが偉人足りうるからだ。 


「言うは易く、行うは難し」


 行動する者にはこの言葉が刺さる。行動しない者には刺さることは無い。今は、この刺さらない者の言葉が余りにも多すぎる。