昨夜の「凪のお暇」は自分の娘の頃を思いだしてその後なかなか眠れなかった。

私は15年程前に職場の環境で鬱になって治療を始めて結局仕事を辞めた。
家庭生活も母親の役目も出来ない程に苦しくてカウンセリングに通った。

数年のカウンセリングで分かってきたのは私が生きにくいのは職場のせいでもいじめのせいでもなく根本に幼いころの家庭環境にあることに3年目くらいで思い至ってきた。

父が母を殴る。
私が母に甘えると父の機嫌が悪くなる。
家族が平和であるために私は父の膝に座る。
一緒にテレビで巨人を応援する。勝つと機嫌がいい。
宿題は嫌いな父に聞く。その時間は機嫌がいい。(私は1人でできるのだけど)
そんな私を見て兄は「点取り虫!」と睨んだ。兄は巨人も野球も大嫌いだった。
そして何故か母は「父に可愛がってもらえない兄は可哀想」と言った。何故だ。

カウンセリングでその頃の話をするといつも泣いた。

そんな家庭の空気とそのころの職場の空気がとても似ていたのだと思う。
「あの人の機嫌が悪くならないように」て、顔色を伺う毎日。
小さいころ誰にも言えないで押さえつけていた感情が自分も母親になって、仕事に疲れてじわじわと体に現れた。
でも複雑に絡み合った感情は直ぐに言葉にはできないから「過敏性腸症候群」と言う大腸の症状になって現れてしまった。
消化器科の先生から「精神科での受診」をすすめられて情けなくて車の中で泣いた。
「自分は頭がおかしいのか?」そんなふうに考えてしまう私の状態。
末の子が小学校2年生だった。
「子供のために元気になりたい」
カウンセリングの先生に受診理由をそう話したのは覚えている。

「凪のお暇」であの母親が嫌いと分かっている凪ちゃん。早くに母親から離れた凪ちゃん。「行くな」て言ってくれる人がいる凪ちゃん。。。
「辛いけどよかったね」と思う。

私は40代母になって共依存に気がついた。そして「孝行娘」の役は年老いた両親に対して辞めることはできずに亡くなるまで続けた。子供たちにはよいおじいちゃん、おばあちゃんだった。

母を看取って10年になる。アルツハイマーでとことん歩き回った。でも、最期にはあんなに可愛がっていた兄のことは忘れてしまった。「それを報われた」と当時思った私はまだ病んでいたのだと思う。

続きがあるなら私の結婚騒動なんだけど、あるかな…。