好きなことばである。
まだ産まれて間もない赤子にお乳を飲ませながら、わたしは涙をこらえ、下唇を噛みしめた。
"母乳で育てたいっていうのは、親のエゴじゃないの?"
頭によぎった言葉。
それは弱りかけた精神には、傷口に塩を塗られたような激痛だった。
わたしは有り難いことに、十日前、元気な男の子を無事に出産し、そして4日前に退院して自宅へ戻ってきた。
第2子を含む、四人暮らしの新しい生活。
喜びに、不安と、楽しみな気持ちを抱えて。
予想していた通り、上の子は多少情緒が不安定になり、体調を崩して保育園も休んだ。
今までひとりっこだったんだもの。そのくらいは想定内だった。
また下の子については、上の子の時は混合栄養だったが、勉強し今回は完全母乳育児をやってみたくて、出産直後から一度もミルクは足さず、頻回に授乳していた。
わたしのお乳は、見た目は大きく張り出ている為、一見は"よく出そう"なお乳だ。
でも、見た目通りにいかないものである。
世の中にはお乳が出すぎて困っている人もいるだろうが、わたしは分泌するのに時間もコツもいるタイプのお乳だった為、上の子の時も最初の3日は泣きながら授乳の練習をした。
親として、この小さな命に栄養となるお乳が与えられないことが、とても苦しみでした。体重が増えずに泣いている我が子を見て、耐えられなくなり4日目を待たずにミルクを足してもらいました。それが混合栄養の始まりでした。
でもその後、また勉強し、母乳育児の場合は新生児の最初の多少の体重減少は心配いらず、根気よく頻回に授乳するのが大事と知って、第2子の今回はそれを実践しました。
お腹がすいて度々に泣いている我が子の姿に、何度もめげそうになりながら。
夜中もほとんど一時間を空かずに授乳しました。
結果、3日目にようやくお乳が出始め、4日目には飲めるくらい出ました。
お医者様からも退院時に、「体重もまた増えはじめて、赤ちゃんに母乳のみで立派に栄養が足りている証拠です。」との言葉ももらい、その言葉に乳頭亀裂や授乳からくる肩凝り、背中の痛み、頭痛にも耐えて頑張った甲斐があったと喜びました。
でも、まわりから見ればどうやら、頻回に授乳してないと泣く我が子の姿は、"順調にいっている"ように見えないらしかった。
義理の祖母や母、父は口を揃えて言う。
「赤ちゃん体重は増えた?」
「大きいけどねぇ。おっぱい出てないんじゃないの?」
「泣いてるね。おっぱい足りてるの?」
「ミルクは足さなくていいの?」
「ミルクを飲ませた方が、よく眠ってくれて、上の子との時間もとれるんじゃない?」
…
彼らは、人工栄養の全盛期に子育てをした人達だ。
彼らは、赤ちゃんのおなかを安易に満たし、体重も思うように増やしてくれるミルクに絶大な信頼を置いているし、抱きぐせがつくからと言って、あまり泣く子を抱かずに育てることを当たり前としてきた人達だ。
その"時代"で、うたわれていた当たり前の育児方法なのである。
我が孫を、嫁を思って助言しているのだ。
だとしても、辛い。
誰が空腹で小さな小さな赤ん坊を泣かせたいだろうか。
誰が、寂しい思いをして堪えて、気丈にしている上の子を放って、授乳ばかりしていることが平気だろうか。
わたしの思いも知ってもらいたかった。
うまれたての赤ん坊は、家族みんなに喜びと幸せを無条件に与えてくれる愛らしさを備えて家庭にやってくる。
だから、みんな赤ちゃんのことにかけては必死なのだ。
お乳の出る、出ない。
子育てへの考え方。
子供が持って生まれてくる能力。
個性。
すべてが、十人十色であって同じでない。
分からなくてはいけない。
わたしが一番冷静に、理解していなくてはいけない。よかれと思って、言うのである。
それでも上の子を寝かしつけ、静かになった寝室で、赤ん坊にお乳をやりながら。目からは、涙がたぷたぷと流れた。
まだ産まれて間もない赤子にお乳を飲ませながら、わたしは涙をこらえ、下唇を噛みしめた。
"母乳で育てたいっていうのは、親のエゴじゃないの?"
頭によぎった言葉。
それは弱りかけた精神には、傷口に塩を塗られたような激痛だった。
わたしは有り難いことに、十日前、元気な男の子を無事に出産し、そして4日前に退院して自宅へ戻ってきた。
第2子を含む、四人暮らしの新しい生活。
喜びに、不安と、楽しみな気持ちを抱えて。
予想していた通り、上の子は多少情緒が不安定になり、体調を崩して保育園も休んだ。
今までひとりっこだったんだもの。そのくらいは想定内だった。
また下の子については、上の子の時は混合栄養だったが、勉強し今回は完全母乳育児をやってみたくて、出産直後から一度もミルクは足さず、頻回に授乳していた。
わたしのお乳は、見た目は大きく張り出ている為、一見は"よく出そう"なお乳だ。
でも、見た目通りにいかないものである。
世の中にはお乳が出すぎて困っている人もいるだろうが、わたしは分泌するのに時間もコツもいるタイプのお乳だった為、上の子の時も最初の3日は泣きながら授乳の練習をした。
親として、この小さな命に栄養となるお乳が与えられないことが、とても苦しみでした。体重が増えずに泣いている我が子を見て、耐えられなくなり4日目を待たずにミルクを足してもらいました。それが混合栄養の始まりでした。
でもその後、また勉強し、母乳育児の場合は新生児の最初の多少の体重減少は心配いらず、根気よく頻回に授乳するのが大事と知って、第2子の今回はそれを実践しました。
お腹がすいて度々に泣いている我が子の姿に、何度もめげそうになりながら。
夜中もほとんど一時間を空かずに授乳しました。
結果、3日目にようやくお乳が出始め、4日目には飲めるくらい出ました。
お医者様からも退院時に、「体重もまた増えはじめて、赤ちゃんに母乳のみで立派に栄養が足りている証拠です。」との言葉ももらい、その言葉に乳頭亀裂や授乳からくる肩凝り、背中の痛み、頭痛にも耐えて頑張った甲斐があったと喜びました。
でも、まわりから見ればどうやら、頻回に授乳してないと泣く我が子の姿は、"順調にいっている"ように見えないらしかった。
義理の祖母や母、父は口を揃えて言う。
「赤ちゃん体重は増えた?」
「大きいけどねぇ。おっぱい出てないんじゃないの?」
「泣いてるね。おっぱい足りてるの?」
「ミルクは足さなくていいの?」
「ミルクを飲ませた方が、よく眠ってくれて、上の子との時間もとれるんじゃない?」
…
彼らは、人工栄養の全盛期に子育てをした人達だ。
彼らは、赤ちゃんのおなかを安易に満たし、体重も思うように増やしてくれるミルクに絶大な信頼を置いているし、抱きぐせがつくからと言って、あまり泣く子を抱かずに育てることを当たり前としてきた人達だ。
その"時代"で、うたわれていた当たり前の育児方法なのである。
我が孫を、嫁を思って助言しているのだ。
だとしても、辛い。
誰が空腹で小さな小さな赤ん坊を泣かせたいだろうか。
誰が、寂しい思いをして堪えて、気丈にしている上の子を放って、授乳ばかりしていることが平気だろうか。
わたしの思いも知ってもらいたかった。
うまれたての赤ん坊は、家族みんなに喜びと幸せを無条件に与えてくれる愛らしさを備えて家庭にやってくる。
だから、みんな赤ちゃんのことにかけては必死なのだ。
お乳の出る、出ない。
子育てへの考え方。
子供が持って生まれてくる能力。
個性。
すべてが、十人十色であって同じでない。
分からなくてはいけない。
わたしが一番冷静に、理解していなくてはいけない。よかれと思って、言うのである。
それでも上の子を寝かしつけ、静かになった寝室で、赤ん坊にお乳をやりながら。目からは、涙がたぷたぷと流れた。