この世が、真か幻か。
現実か夢かわからなくなるときがある。


大袈裟に書いてしまったが、ずいぶん荒く表すならば、そういう状態。




日頃いろいろな思考にとらわれていて、眠っている時にも、起きているのと変わらないくらい、リアルに夢を見てしまう。
夢だというのに、あまりに細部まで記憶にあるし、脳を使うだけか体も疲れ、そして夢の記憶が強烈で、夢だったのか起きていたのか判断しかねるのである。



睡眠の質が悪いからということは、なんとなくわかっている。
日頃、思考を巡らしすぎているから、寝るときまで考える癖が抜けず、自分で引き起こしている現象なのだと自覚もある。




ずいぶん前に、
「考えない練習」
を始めたのに、
どうも馴染めなかった。




無になることは、ことのほか難しい気がする。
常に雑念にあふれている。
まわりを見たって、無の状態の人を見つけられない。皆、次から次へと仕事、快楽、いろんなことにまみれている人たちばかり。



静寂を求めながら、
静寂を嫌っているのか。


常に空白を埋め、
心の埋らない穴に何かをつめこみ、まだ足りず、刺激の強いもので誤魔化し誤魔化し、埋めたつもりで生きているのである。



もう少し若い頃、
身を削るような生活をした日々があった。

両親を亡くした。
1人でいられず、
学校や仕事が終わって、家で食事やお風呂を済ませ、テレビも見、普通ならこれから自宅でゆっくりする時間に、いてもたってもいられなくなった。
唯一同居している祖母は、八時くらいには自室に眠りにいってしまう。



それより先に家を出たりしない。でも、祖母が眠ったら、こっそり家を出て、同じような寂しい友達と会って、何をするでもなく、ただドライブしたり、しゃべったりしていた。



わたしの喪失感。
友達の現実逃避感。
1人では立っていられない弱いものが、補い合えるわけでもなく、集って気を休めていた頃。



昔からわたしは、俗にいう夜遊びとか、家族が心配するような事をけしてするタイプではなかった。
子供の時から早い時間に帰宅し、友達の家にお泊まり会などもせず、イベントごとの日に外出することもなく、至って家庭に沿って暮らしてきた。
親が、家族が心配すると思うと、それ以上はしないという気の弱い人だったのだ。




そうして暮らし、
親を亡くした。



誰だって親は死ぬのである。
自分が先に死んでしまわない限り、普通なら順番でいつか親が先に死ぬ。



でも、
心がまだ親に甘えたりなかったわたしは、
喪失により出来た心の大穴を、
何かで埋めないともう毎日眠れなかった。



祖母には内緒で、夜家を出る。その時のわたしは、まるで忍者そのものでした。
そしてただふらふら、どこかへ出掛けていく。
明け方前には帰り、何もなかったかのように自室で二、三時間休み、また学校や仕事へ。


祖母が夜中に起きてきて、万が一わたしの外出を知ったら…。
もしわたしが、事故にでも遇い、朝祖母が目をさますまえに帰れなかったら…。
この二つの場合の時のために、リビングに置き手紙をし、いつも帰って見られていない事(手紙が取られていない、動かされてない事)を確認して、回収した。



誰も知らないところで、1人で綱渡りしてるみたいでもあった…。



祖母を悲しませたくない。
でも、いままでみたいな、おとなしい生活は送れない…。
何かをして、考えて、食べて、動いて、話して、見て。
そうしていないと、あの時は耐えられなかった。



しばらくしたら日中仕事に集中するようになり、夜休まないと体が続かなくなり、
そういった行動はなくなっていった。



深夜徘徊。



しなくなった今は逆に、眠りすぎて夢の中で徘徊している始末だ。




本当に、
健康な生活は日常生活からだと思うが、寝ないか寝すぎるかばかりしてしまって、
甚だ自分のいい睡眠時間もわからない。
加減というものを知らないのである。




いいですか、
世の中こんなに駄目な人も居ますから、
あなたは自分の事をもっと誉めてあげたらどうですか。