何でも知ってるつもりでも、みんなが知らないことがたくさんあるんだよ。


大好きな"おでんくん"中の
お馴染みの台詞だ。

初めて"おでんくん"をテレビで見たとき、2つの衝撃があった。
1つ目は、「なんとブサイクなキャラだ」で、
2つ目は、「なんと的を射た。真髄をすらすらと、語っているのか。こんなものは大人がみるべきだ」
と思った。


序章が長くなったが、自分を知るにはということである。
リリー・フランキー氏も述べたように、自分の事は特に自分が一番知っているだろうと思う…が、しかしだ。
実のこと全然雲をつかむような相手とは、自分自身だったりすることはあるのではないか。


わたしは大人になり、
元来子供の頃より"自分はこうだ"と感じていた性格と、はたから見たわたしの性格とでは、少々、時にはかなりズレがあるということを自覚した。
全く、恥とはこれを一字に現した漢字だったのかと言うべきか。
気づいた瞬間から、自分が今まで服を着ずに生きていたことを知ったような、丸裸をさらされたくらいの気分であった。


わたしは恥じた。
自分がわからなくなった。
今までは平気だったのに、急に人と目を合わせる事が
怖くできなくなった。
まごまごしている。
さまようたましい、か。
ドラクエばりだ。


わたしは"能天気で、おしゃべり。のんびりしてるけど、人が好き"な自分と思っていたのに、ある日わたしは人から、"ものすご、おとなしいやん。
話しかけんでオーラ出てるよ"と聞いた。
はて。
おとなしくなくなったつもりだったのに、
まだわたしは
オトナシイノカ?
「…ちょっと、ブリッコだもんね(笑)めちゃくちゃ天然だし。」
まさか。
サービス精神は旺盛と自負してきたが、ブリッコなどでは…。
もう、天然とは一体なんなのか。
天然という概念がない。


立つ力も失った気がした。


最後の力を振り絞り、友に問うた。


「あたしって、どんなんだい?
泣かないから、正直に教えておくれよ」
と。
友は語りだした。
『う~ん。暗くはないのよ。明るい寄りだよ。喜怒哀楽激しいし。慣れたらものすごしゃべるし。まあでもマイペースよね。…一言にしたら、おしゃべりの根暗じゃない?」


"オシャベリノネクラ"?



わからないことをいう。
と言いたかったが、解ってしまった。
まさしくそうだ。
根はたいして明るいほうじゃないのに、人といるとよくしゃべる。
でも、自分で気づかない所では"近寄らないでオーラ"を出す、紛れもない根暗なのだ。


友は嘘偽りなく語ってくれた。
本当に感謝したい。
公衆の面前で急に丸裸にされ慌てふためいていたら、一枚のケットをふぁさりと掛けてもらった
くらいに有り難い。
こう、回りくどいところがもう暗いのである。


そして友は、更にひとつ付け加えた。
『でもね。時々心配になんのよ。明るくいようと、場を白けさせまいと愛嬌はバリにいい。でも、人の顔はよう見てるのに、あんたは誰に悲しい顔見せれてるのかねって。疲れる瞬間に、どうしてんのかなってね。自分のことでは、あんた泣かないやろ。』


知らなかった。自分は泣き虫と自覚していた。でも、事人前で私情で涙を流すとなると、苦手中の苦手だった。
知らなかったのだ。
友は、そんなわたしは、はけ口をちゃんと持っているのかと心配してくれていたらしい。

言葉はわたしをグサリと刺し、まるでその切り口から流れ出たように、無意識に涙がぽろぽろ零れていた。


わたしは、知らないところでも、友に守られていた。密かな気遣いというベールで、一方的にわたしを覆ってくれていた為、今回尋ねなければ鈍感でマイペースなわたしは知らなかったろう。
無償の愛の類いじゃないか。畜生。


「結婚してくれ」と思わず告白してしまうほど、単純なわたしは更に友を好きになった。
「同性でそうゆう制度、ないで(笑)」と笑う、この人を、わたしもずっと大切にしていきたい。