食物アレルギーのブログです
小3長男は乳アレルギー
乳児期は1滴(0.05ml)でNGだった為
完全除去
5歳より0.06ml経口免疫療法開始
母のわたしはフルタイム勤務
病院で働く医療職のワーママ
こんにちは
治療のこと
経過のこと
アレルギーに関する医療のこと
敢えて書いてこなかったのには理由があったので
唐突に今回のことを書くのは
自分の決意を覆しますが
胸がぎゅっと締め付けられて
書かずにはいられない
ある日の負荷の後に感じたことを書きます
このところ
牛乳の自宅負荷が調子が良かった。
私は相変わらず余裕がないので
そんなにきっちり何曜日にとか
週3は絶対にとかできていません。
かかりつけからも
飲むペース、きっちりと指定もないけれど
間が開いてしまうと飲めなくなってしまわないかと
自分が不安なので
なるべく一週間は開かないように
そうして週に2〜3飲んでおけば良いなぁってペース
特に秋は忙しかったのでそれ以上は
課さなかった。
それでも調子はよく
ここ1〜2年
自宅では増量することなく
およそ3mlを飲んでいて
→これも増量しても良いのだと思う
患者サイドの考え方次第
昨年あたりは
間が開いたりすることや体調によっては
少し咳が出たりすることはあった
今年に入って
私のてきとーペースで間があいても
少し減量したりする必要なく
およそ3mlで全く症状が出なくなっていた

だから
年が開けた冬休みに
負荷試験を予定しており
今回は
期待できるんじゃないか
と思っていた。
この日も普段通りの量
飲ませた時間も
前に飲ませたのも3〜4日前と
なんらいつもと変わらなかった
体調も悪くなかった
ちなみに
うちの牛乳タイムは
お風呂後の寝るまでの仕度の間です
歯みがき前の9時20分頃に
牛乳を混ぜた飲み物を飲んだ。
明日は祝日
おまけに
夫コロナで自粛中で
生活のリズムは崩れまくってて
寝る時間とかもうるさく言わず
おおらかになっていたとき
さっさと次男は寝息が聞こえ
長男は年齢的にさすがに
私がついていなくちゃ寝れないということはないので
/
自粛生活で自由時間もなかったから
ここでママリビング戻るよー
おやすみ
\
と去った
とはいっても
いつも大体戻ってあげるんだけど
そしてフツーの日なら
そんなことの繰り返しをしてる間に
眠らない子供にイライラして
カミナリ落とすのが常ね
寝付けなさそうで
学校も休んでて
疲れないからだよねぇなんて話しつつね
コホっと咳をする
10時10分
いつもはしないよ
苦しそうな程ではないけど
数分に1回
最近の長男の症状な感じ
大丈夫?
うん
もいちどリビングに戻る
コホっ
心配で寝室へ
また大丈夫?と
何度かそんなやりとりを繰り返した
アレロック飲む?
うん
苦しそうではない
でもたぶん咳のせい?
アレルギー症状があるから
寝つけないに違いがなかった
本人もアレルギー症状だと
理解しているはず
そして
心持ち、母的には
長男が
咳症状を
我慢しているように感じた
私が心配しすぎてたかな
心配しないでね、って感じがしたの
その様子がね
切なくて
いつも
飲ませて出た症状のときは
罪悪感でいっぱいで。
その場を離れようとか微塵も思えなくて
半年以上調子が良かった量だった
でも2年連続
負荷試験では
大幅アップはみられなかった量
今度の負荷試験では
余裕でクリアできていると思ってた
もう、冬休みの負荷試験
意味ないんじゃないか
と思ってしまった
私の負荷試験の目的
そしてうちのかかりつけの定義(たぶん)
双方
日頃自宅負荷しているので
ある程度の量は飲めるのが前提で
負荷試験では入院なので
緊急対応もできるし
比較的増量傾向で
トライする
そんな場だと位置づけていて
私自身、就園後って
日々身体も大きく成長するので
『自宅負荷の役割と異なるのが
入院負荷試験』
そう、日々飲んでる量より
ぐんと飲めているかも
そういう気持ちで臨んでいた
今回も臨もうと思っていた
だけど
安定していると思っていた量でひっかかり
私は
毎日地道に自宅負荷している量より
身体の成長を信じていて
日々少しずつの増量しててもしてなくても
体が飲めるように
なっているんじゃないかと
思ってて‥
思ってた‥
だけどやっぱり
がんじがらめで週7毎日飲んでいた方が
効果があるんじゃないか?
頻繁に外来で負荷試験をしてくれるような方針の方が伸びるんじゃないか
とふと思ってしまい
どちらもしていない
自分の努力不足に感じて
咳をコホコホしている
長男のそばにいながら
初めて限界を感じてしまった。
望みは捨てたことなかったし
200mlは無理でも
飲めるようになる方がいいに決まっている
ずっとそう思ってきたのに
初めて
『このまま』
を
受容する感覚が芽生えた
たぶん
それは
ただただ
長男がつらそうだったから
って普段通りなことではなくて
(↑実際症状自体は大したことない)
長男が我慢したり
私に
気をつかっている様子
をみたので
飲めない、飲みたい
辛い、みんなと同じに
もう
そんな希望、現実の
ワードだけで片付けられないなって
息子が「私の子」から
「個」
になってきていて
気持ちを尊重しなくてはいけないな
と思えて
今までのようにただ
「ガンバレ」
「飲めるようになろうね」
と親が無責任に言えないなと
この日の「9歳長男」を見て思った
私が長男のアレルギーで
最も気持ちが辛かったのは
年少から年長くらい
当たり前の生活をさせてあげたい
子供らしい希望を叶えてあげたい
みんなとおなじがいい
そんな想いで苦しかった
小学生になってしまうと
もうアレルギー母キャリアも育まれ
受け入れるしかなく
本当に自分を褒めたいくらい
上手にアレルギーと付き合ってきた
つらさは薄れていた
- 市販のお菓子にはすごく詳しくなれたし
- 乳製品使わない献立にも慣れた
それでいて
時々自分も食べたくなるから
- 豆乳シチューとか洋風のものも取り入れて楽しんだり
- 買い物もさほど苦じゃなくなって
そんな
こういう生活を維持していけば
それがうちにとっての
食物アレルギーなうちの平凡な日常で
夢が叶わなくてもいいのかなって
この夜思ってしまった
長男を無理させたくないなって
ただ
私の使命は
ここまではやってあげたい
と思っているのが
小学生が終わり
中・高生、そして大人へ
その前に
危険な思いをする量は
克服させてあげたかったな
バターくらいなんてことない量までは
クリアしといてあげれば
あとはもう
白っぽいものとにかくやめとけ
で10代は乗り切ってくれと思っていたので
長男自身は
今回のように日頃の量で症状でたとき
どんな胸のうちなんだろう
私が9歳だったらどう思ったかな
あ〜飲みたくない
意味ない
ってやる気なく思ってただろうなぁ
偉いなうちのアレルギー児
親のことが大好きだった健気な頃のキモチ
少し覚えてる
心配かけることが申し訳なくて
自分がこうじゃなかったら
親は悲しい思いしないよなとか思ったりしたなぁ
治してあげられなくて
ごめんね
とこの日強く思うとともに
限界まで
最善を尽したいなという気持ちも
芽生えた
著名な医療機関に診てもらったら
何か変わるのかなと
9年間アレルギーっこ育てて
最後のチャンスに挑戦しようかと
腕まくりして治療に本気出した上で
諦めて
我が子にごめんねと謝ろうかと。
→実際はね
かかりつけの先生すこく信頼してるから。
小児科で診てもらえる限界まで通い続けると思うけど
『つらさ』
という意味ではずっと感じてきたけど
幼いときの『つらさ』とは
次元が違うようになってきたなぁと感じた夜でした。
本人自体が
アレルギーがあることでの
複雑な心境が湧いてき始めてるよね
この秋
話題になりそうなエピソードがいくつもありました
最後までお読みいただきありがとうございました
一番最近の症状はこれかな
負荷したときに出たのと
市販品で出たのとまた少し心境が違うかな
やっぱり
喜びの方がいいに決まってる
増量できたら嬉しいよね
このとき想像したとおり
年齢があがると悩みはかわった