もうすぐ東日本大震災から丸一年を迎えます。3話完結で当日に私が体験した事などを書いてみようと思います。

東日本大震災当日、私は前夜から大阪市内に宿泊し、朝から数週間後に行われる予定だった国会見学ツアーのリハーサルを兼ね名古屋→松阪→新宮→串本のルートで移動中でした。ところが、松阪で開催中の松阪競輪を観戦中にお客さん同士の「東京・お台場が大変な事になっている」との情報をキャッチしました。初めて、東日本大震災が起きたと感じました。そして、少ししてから携帯のニュースを確認すると地震で交通機関が乱れたり、地震が起きたという情報をキャッチしました。競輪観戦が終わり、松阪駅に着くとJRは運転見合わせとの情報。そこで、津→熊野市という列車とバスを乗り継ぐ作戦で帰る事にしました。そこで、またもアクシデントが。バスで移動中、紀伊長島道の駅マンボウで運転ストップになりました。その時にツイッターを活用し、ユーザーさんに熊野市や新宮市などのタクシー会社を教えてもらいました。バスのお客さんの大半は家族に相談しながら最寄のバス停まで迎えに来てもらい、それぞれの家路に着きましたが、私は運転再開のバスで熊野市まで駒をすすめました。熊野市からはタクシーです。駅前に停まっていたタクシーで串本までお願いしますと運転手さんに伝え出発。すると、移動中に通る大半のお店は閉まっていました。そんな中、新宮市に入ると「この先は通行止め」と警備員に言われ新宮駅でタクシーを降りました。その時、駅は列車の運転が取りやめになった影響で静かになっていました。本当に串本まで帰れるのだろうか?と悩んでいたらあるタクシーの運転手さんが「串本まで行こうか」と声をかけてくれ、裏道を通り串本まで駒をすすめました。移動中はツイッターで地元・南紀エリアのユーザーさんとやり取りしながらいろんな情報交換しました。いろんな方の協力のおかげで串本に無事到着。当時、大津波警報発令中で父親・姉・交流するユーザーさんのアドバイスで必要最低限の荷物を持って串本警察署で初めての避難生活を送る事になりました。

第2話では初めての避難生活・東日本大震災が起きてから1週間の様子を綴ってみようと思います。

☆ユーザーのみなさん、最後まで読んでいただきありがとうございます。