桑原塾・塾長の『映画は副作用のない、お薬』 -769ページ目

モロ師岡and三遊亭 好太郎

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今日は上野広小路亭に、三遊亭 好太郎主催の【六月の うたたね】に行ってきました。前座は【立川 らく太】ゲストは俳優の【モロ師岡】でした。モロ師岡さん は 一人コントを2席、そして好太郎師匠は【付き馬】【死神】の2席でした(^o^)とても勉強になりました。(^o^)

雷ライブに出演します(^o^)

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6月20日(土)浅草東洋館にて開催される【雷ライブ】にワタクシ【キャベツ畑と機関銃】が出演いたします。よろしく~。→ただいま【歌広場】で稽古中(^o^)

スパルタンX

僕がはじめて、三沢光晴選手を生で見たのが1991年に日本武道館で行われた全日本プロレスでの【サマー・アクション・シリーズ】でした。その日は、あの【ザ・デストロイヤー】の引退試合でした。ゲストにはアナウンサーの徳光和雄さんも来ていました。デストロイヤーが【トクミツ!ヨンノジ!!ヒトツ!!!】と言って笑いを誘っていました(^o^)デストロイヤーの引退セレモニーも感動でしたが、メイン試合の【三沢光晴VS川田利明】の三冠統一ヘビー級選手権試合が始まると…凄い!僕が中学生だった約15年前は【プロレスは、オタクが見る物】みたいな風潮が、どことなくありました。だから友達とかに【プロレスは八百長だよ】と、馬鹿にされると 『じゃぁ、四天王プロレスをみてみればて!』と言ってやりました。確か、高校1年生位の時に親戚の、おじさんに日本武道館のリングサイドに連れて行ってもらった記憶がありますー(^o^)その時のメインは【スティーブ・ウィリアムスVS三沢光晴】でした。この相手選手のスティーブ・ウィリアムス選手は、最初はテリー・ゴーディ選手の相棒だったのですが
、ゴーディ選手が病気(心臓病)の為に、タッグを解散し、シングル戦線で頭角を現しはじめた頃でした。ウィリアムス選手は初期の頃は【オクラホマ・スタンピート】という技→相手選手を抱えあげて、そのままコーナーポストに走って行って、その後さらにリングに叩きつけると言う、よく分からない技(笑)を使っていました。さらに【ドクター・ボム】なる変形パワーボムも使っていました。しかしシングル戦線にて頭角を現す様になると【第一級・殺人・岩石落とし】なる凄まじい…凄まじすぎるバックドロップボムを繰り出す様になります。ジャンボ鶴田のいわゆる【ヘソで投げる】バックドロップよりも凄まじかったです\(~o~)/このバックドロップをリングサイドにて間近でみた時には…この試合を翌日テレビで観戦したら、解説の百田 光雄さんが『あっ!!』と言う悲鳴に近い声が聞こえてきました。それほど凄まじかった訳です、丁度、この時期からだったと思います。脳天から落ちていく危険な技が増えたのは…見ている側としては、ハラハラ・ドキドキですが…昔、【馳 浩 選手】が【後藤 達俊 選手】の同じく
バックドロップを喰らって心肺停止になった事があります。そして、この事故…何故、本当にプロレス会場にリングドクターがいなかったのでしょうか?不思議でなりません。大変に不謹慎ですが、全日本プロレスに関わったプロレスラーに亡くなっている人が多いのは気のせいでしょうか?→【ジャイアント馬場】【ジャンボ鶴田】【冬木弘道】【テリー・ゴーディ】【ゲーリー・オブライト】【ボビー・ダンカンJr.】【ホーク・ウォーリアー】そして今回の【三沢選手】…プロレス団体側も、もっと選手を大事にしてあげて欲しいです…。三沢選手のご冥福をお祈りします。合掌。