スポーツ大会の写真を仕事で撮影するようになって、小学生や中学生のスポーツマンと接することが増えた。そんな子供たちはコーチや監督等に礼儀も教育されていることが多いので、営利目的で試合会場にいるカメラマンの私にも清々しい挨拶をしてくれて実に気分がいい。こちらも、出来るだけいい写真を撮ってやろうという気持ちになってくる。


そんな子供たちを観察していると、コーチや監督の言うことを押し並べて素直に聞いている。体育会系の特徴なのかもしれないが、否定するということはない。急成長する時期には、素直であることが成功の最大の条件であるようにも思えてきた。


土・日・祝日のうち1~2日はそんなスポーツ大会の撮影をし、もう1日は某ホテルの専属カメラマンとして挙式・披露宴のスナップ撮影をしている。(ちなみに、KYアートとして仕事を受注したのではなく、個人として就活をし、履歴書も書いて、委託カメラマンとして雇われたのである)。


もう2カ月近くになるが、やっとメインのカメラマンとして撮影できるようになった。12年以上の経験があるのにと思われるかもしれないが、その12年はN社での経験である。今度のS社は、N社とはあらゆる点で異なっている。資本主義と社会主義ほどの違いがあると言っても過言ではない。


N社の社長は趣味を仕事にした人で、いわゆる大学の写真学科や写真専門学校で基本を学んだ人ではない。その分、自由な発想でブライダルスナップのパイオニアとして古典的な婚礼写真業界に一石を投じることができた。


一方、S社の方は婚礼写真業界の王道を行くタイプで、そこの社員は全て業界に通用する有名な写真専門学校卒である。ホテルの写真室で業績を上げ、全国各地のホテルに写真室を展開している。ホテルの写真室は高額なテナント料を支払っているだけに、ホテル内の他の部門と同等の扱いを受ける。


私がかつて所属したN社では披露宴の進行の邪魔にならないようにピリピリして撮影していたが、S社では写真室のカメラマンがブライダルスナップを撮るのであるから、仕切りたいだけ仕切ることが出来る。さらに、使用するカメラも決められている。Cメーカーのフルサイズボディで、レンズも純正の最高級品で、ストロボも最高機種である。


それらを全て2台づつ揃えるとなると100万円でも足りないが、そこの委託カメラマンはすべてS社所有の機材を使用する。その辺は、社員のスタジオカメラマンがスタジオ機材を使用するのと同じ感覚である。重い機材を持って出勤する必要がないので私としては楽である。それに、自分でも驚くほどのきれいな仕上がりとなる。機材が高級だとこんなにも写りが違うのかと驚いた。(いずれお金が貯まれば、この機材を購入し、KYアートでの撮影も同品質を提供したいと思っている。その折にはKYアートのホームページで告知します。)


しかし、戸惑ったこともある。それは、スナップ撮影であるにも関わらず、カメラボディもストロボも全てマニュアル設定で撮影するという点だった。N社ではボディは絞り優先を基本とし、被写体が動いている時はシャッタースピード優先にし、被写体の状況でどうしてもまずい時にマニュアル設定にする程度だった。ストロボは常にオート(TTL)にし、金屏風の前や、被写体が白っぽい、または黒っぽいなどの時に補正する程度だった。そのように、ある程度はカメラに頼ることによって、スナップ撮影の本来の意義である「一瞬の機会を逃さない撮影」をしてきた。


ところが、S社ではそれらが全て否定されたので、Cメーカーの機材に慣れることに加えて、全てをマニュアルで撮ることに慣れるためにも時間を要した。2カ月近くもメインで撮影出来なかったのはそのためである。その分、多くのことを学ぶことが出来た。初心に帰って、S社の婚礼スタジオカメラマンにいろいろ教えてもらい、なんだか、写真専門学校の実地教育授業を受けているような感覚であった。


先日、その色に染まりかけた私は、P社から請け負ったスポーツ大会の試合中のスナップ写真までもマニュアル設定で撮影した。その数日後、P社の担当者から注意された。「スナップをマニュアル設定で撮影すると、適正露出になっているかどうかを常にカメラマンが注意していないといけません。そんなことに気を回すくらいなら、絞り優先にして画角とシャッターチャンスに意識を集中させてください!」と。


私は、この言葉で目が覚めた。この担当者は、厳しい写真業界で30年以上も成長を重ねてきたP社の課長である。写真のことを知りつくしたプロ中のプロである。この2カ月近く戸惑いつづけた婚礼スタジオカメラマンのマニュアル呪縛から解放された気分だった。


たしかに、被写体の状況によってはマニュアル設定で撮影することは絶対に必要である。しかし、なにもかもマニュアル設定で撮ることで、本来のスナップ撮影の役割を果たすことができなくなる。撮影経験のない式場や披露宴会場、被写体の状況がめまぐるしく変化する場合などには、全てがマニュアル設定では適正露出になっているかどうかをチェックしている間に、その瞬間は過ぎ去ってしまい、一瞬の機会を捉えることはできない。


案の定、婚礼スタジオカメラマンの支配下にあるS社のカメラマンは、私なら撮っているなと思える多くのシーンを撮影していなかった。S社では撮影した画像を削除することが禁止されているため、カメラマンは露出調整の失敗を恐れて撮影しないのである。S社のカメラマンは、婚礼スタジオカメラマンとしてはプロである。しかし、スナップカメラマンとしてはプロではなかった。お金を頂く以上、お客が本当に求めているニーズに応えることができなければプロではない。ニーズとはお金を支払う側によって決まるものである。素人には見分けがつかないような、プロに認められる完璧な適正露出で撮影された写真だけを提供することではない。それは、ただのマスターベーションである。スタジオの中や、ホテル内の限られた宴会場や限られた挙式場でしか通用しない井の中の蛙である。そんな井の中で撮ったものを、これが真のプロの作品だと、自己満足に浸って客に押し付けるようなもので、どことなく官僚主義的でもある。


次回のS社での撮影では支配者である婚礼スタジオカメラマンに叱られることを覚悟で、以前と同じ撮り方である「絞り優先」を中心に撮影し、多くの一瞬一瞬のシャッターチャンスを逃さないようにしようと思っている。今までの12年間に培ってきた経験を生かし、ブライダルスナップのプロとは何かを意識しながら撮影に臨もうと考えている。


だからといって、S社から学んだことも生かすつもりである。ストロボの使い方や、露出の正確さは、婚礼スタジオカメラマンならではの見習うべき技術である。


N社もP社もS社も、それぞれに悪いところはある。そんな点を指摘し、時には否定することも必要である。しかし、全てを否定してしまうと、それまでである。もう、その会社からは何も学べない。学ぶところがないのではなく、全否定した本人自身の心に学ぶ余地がなくなるだけなのである。全否定とは、その人自身の成長を阻害する心の魔物なのである。

 締切りがあるから作品が書ける、と言った作家がいたが、これは私にも当てはまっている。この盆休みに田舎で親戚の写真を撮ったが、撮りっぱなしで、いまだに手をつけていない。他に山ほど仕事があり、そんなことをやっている場合ではない、というのもあるが、締切りがないからやる気になれないといった方が正しいだろう。今では、正月休みに帰省するまでにやればいいだろう、と考えている。

 もし、これが仕事なら、どんなに忙しくても、寸暇を惜しんでやっているに違いない。仕事には締切りがある。だから、できるのだ。自由にも、どこか似たようなところがあるような気がする。つまり、締切りがない状態である。自由な時間がいっぱいあれば、自分の好きなことがいっぱい出来ると思っているのは錯覚にすぎない。仕事が適度にあり、数々の締切りがある方が、かえってやりたいことを寸暇を惜しんでやるものだ。

 私はいままでに千人以上の新郎とプロカメラマンとして接してきたが、定年退職した人やプータローはいなかった。全員が仕事を持った人だった。しかも、その仕事にそこそこの自信をもっている、というものが感じとれる場合が多かった。そんな人は実に輝いている。その仕事に自由を奪われるが、その仕事になら奪われてもいい、そんな覚悟ができた時、結婚という、さらなる不自由を順風満帆の時期にある男というものは自ら得ようとするのかもしれない。

 しかし、その逆も現実にはあるものだ。つまり、結婚したい人が現れた為に、または、結婚しなければならない事態に陥った為に、しかたなく不本意な仕事に就くというパターンである。前者ならまだ救いはある。愛する妻のために、家庭のために生きればいい。ところが、後者の場合は男にとってはとても辛い。そんな背景がうすうす見えてしまうカップルの結婚式を撮影する時は、非常に複雑な気分である。そんな時、心から笑っていない新郎を撮影しながら、私は目一杯の笑顔でエールを送る。二つの不自由を基盤に、寸暇を惜しんで、望ましい転職に備えろと。


この文章は、『ロゴスドン』Web(http://www.nu-su.com )に連載させてもらっている「ピンぼけ哲学」の再録です。

記憶に残る結婚披露宴のスピーチはあるものです。
先日の撮影で耳にしたスピーチもその中の一つです。

最も印象深かったのは、
「夫婦仲が悪くなったら、ペットを飼いなさい」
というアドバイスでした。


スピーチをされた方の実体験にもとづいたアドバイスのようでした。
子供が独立し夫婦の会話がなくなり、夫婦仲が悪くなっていった時期があったそうです。
そんな時期に犬を飼い始め、その犬が夫婦の生活に加わったことで、夫婦の関係が改善されたということです。


まだ若い新郎新婦や二人の友人たちには、あまりピンとこなかったようです。
中年以上の来賓は、かなり納得していたように感じました。


ペットというのは、人間にとって、非常に重要な存在であるように私は思います。
ちなみに、私が最も好きなテレビ番組のトップ3は、
「天才! 志村どうぶつ園」「どうぶつ奇想天外!」「オーラの泉」です。
まだ撮影中か、帰りの電車にいる時に放送されることが多いので、録画して観ています。


私は、ペットが同席した結婚披露宴を2回ほど撮影したことがあります。
1回目は、ホテル内の披露宴会場で、新婦のペットの小型犬がかごの中にいました。
新郎新婦が各卓を回る時にかごから出して、新婦との2ショットなどを撮りました。


2回目は、庭のあるレストランでの披露宴で、新婦のペットの大型犬は庭にいました。
その庭で、犬と新婦との2ショットや、新郎を入れた3ショットなどを撮りました。


こうして結婚披露宴にまで参加できるペットは、飼い主にとっていかに大切な存在であるかが想像つきます。


ところでペットというのは、人にもらったり、外でひろってきたり、ペットショップで買ったりするものです。
その動物自身に、飼い主を選ぶ権利はまったくありません。
飼い主が一方的に選ぶわけです。


いい飼い主だったり、その動物と相性のいい飼い主だったら、ペットもラッキーです。
そうでない場合はペットにとって、とても不幸です。
ペット側からすれば、「運まかせ」ということになります。


ペットがラッキーな場合ですが、そこにも落とし穴があることをある雑誌の記事で知りました。
それは、最近はペットにも生活習慣病が増えているということです。

可愛がりすぎて、栄養が多すぎて、メタボのようになってしまうわけです。
人間の子供にもペットにも、「過保護は本人(動物)のためならず」ということです。


しかし、病気になってしまったら、なんとかして治してあげたいものです。
愛するペットが苦しんでいるのを見るのはとても辛い。
そんな時、優秀な獣医師がいればと心から思います。


この文を読んでいる方で、そんな状況にある飼い主さんのために、私のイチオシの獣医師を紹介します。
久山獣医科病院・副院長の久山昌之獣医師です。

雑誌に掲載されている8ページにわたる彼の記事を読めば、誰もが確信するはずです。
彼がいかに誠実で、責任感が強く、動物好きで、有能であるかを。


家族同然のペットの病気は、本当に信頼できる獣医師に託したいと私は思います。


雑誌の記事「職業人のいきがい探求/獣医師」は、久山獣医科病院のホームページでも紹介されています。
http://www.kuyama-vet.com


ここ数年、出来ちゃった婚が増えています。
たまたま私が撮影を担当した新婦だけに妊娠中が増えた、とも考えにくいでしょう。
少なくとも首都圏においては、その傾向があると言ってもいいと思います。


私の曖昧な記憶の範囲では、ここ数年は、20組中1組は出来ちゃった婚でした。
私は介添人さんからその情報を得るのですが、彼女が知っているくらいですから、他の大勢が知っている事実だと思います。


中には、結婚披露宴終盤の新郎謝辞で、「○月には私達の子供が産まれます」と堂々と公表される新郎もいます。
そこには、父親になるという自覚が伺え、たくましささえ感じられるものです。


なぜ、カメラマンである私が、新婦のお腹の中の状態まで気にするのかと思われるかもしれませんね。
それは妊婦に、あまりお腹を圧迫するようなポーズをお願いしたくないからです。
たとえば、色ドレスでのしゃがみや、お腹をひねる振り向きや、お姫様だっこなどです。

ドラマ『北の国から』で、新婦が馬車に乗って登場し、新郎が馬に乗って迎えに行くというシーンがありました。
馬車に乗った妊娠中の新婦は、その途中で馬車の振動によって流産してしまいました。
そのシーンが、いまだに私の脳裏に焼き付いています。
妊婦にとって負担になるポーズをお願いしたことで流産してしまった、なんてことになったら大変ですからね。


約20組中1組、つまり約5パーセントが出来ちゃった婚だったわけですが、それは発覚した率です。
もしかしたら、それ以外に隠れ出来ちゃった婚があったのかもしれません。
新郎と新婦だけが知っているとか、両親だけに打ち明けたといったケースです。


そのへんのところは、どの程度隠しきれるものなのか、独身男性である私には想像がつきません。
また、隠すべきだという意識が今も存在するのかどうかも、私には分かりません。
一昔前までは、確実に存在したと記憶しているのですが。


実は私は、出来ちゃった婚に対して、考え方が二転三転してきました。
日本の少子化を心配する声がマスコミで高まった頃は、出来ちゃった婚は少子化対策になると思っていました。


しかし、『ナインティナインのオールナイトニッポン』を毎週聴いていた頃は、出来ちゃった婚にやや否定的でした。
パーソナリティーの岡村くんが「出来ちゃった婚は絶対にダメですよ!」と、何度も警告を発していたのです。
芸能界でも出来ちゃった婚が増えてきたことに対する、彼なりの危機感だったようです。
その彼の断定的発言に影響を受けていたのかもしれません。


ただ、ここ数年は、出来ちゃった婚を何度も撮影するようになって、やや肯定的になってきていました。
そして、先日、ある雑誌の記事によって、完全肯定派になりました。

それは、元パイレーツの浅田好未さんによる「ハワイの追想」の記事からです。
約1年前に、新婚旅行で行ったハワイの思い出話を披露した内容です。


記事の中では、出来ちゃった婚のことにはふれていませんが、ブログのことが書かれていました。
それで彼女のブログを検索してみると、何とアメブロでした。
過去記事を見ると、大きなお腹でハワイの新婚旅行を楽しんでいる浅田さんがいました。
挙式・披露宴もしっかりとされていました。


最近の記事を見ると、一歳のお子さんを立派に育てています。
会社の経営者としてもご活躍されています。
家事も、ちゃんとこなしています。
タレント活動もされています。


それに加えて、6ページにわたる雑誌の記事になるほどの充実した新婚旅行もされて、人並み以上の思い出を残されました。
彼女のここ1年の生きざまから、出来ちゃった婚もいいではないかと、心から思えるようになったのです。


浅田好未さんの「ハワイの追想」は、『ロゴスドン 第76号』(2008年冬号)に掲載されています。
『ロゴスドン』は、発行元の出版社ホームページでご確認ください。
http://www.nu-su.com

スナップのブライダルカメラマンは、新郎・新婦に密着して撮影するので、コミュニケーション嫌いでは勤まりません。
密着するという点では介添人さんも同様ですから、自然と彼女たちと行動を共にすることが多くなります。


彼女たちのコミュニケーション能力は高く、感心することがよくあります。
最近は若い介添人さんを使う式場も増えてきましたが、中年以上の既婚女性を使う式場が多数派です。
そんな女性の方が訓練を積まなくても、すでに高度なコミュニケーション能力を身に付けているからかもしれません。


コミュニケーション力が欠かせないカメラマンにとって、彼女たちに学ぶことは非常に多いのです。
まず、彼女たちは、相手のいいところを見つけだすのがとても上手です。
彼女たちに言われて初めて気がつくことはよくあります。


また、相手のいいところを見つけ、オーバー気味に誉めることも多々あります。
「大したことはない」と思えても、そんな感情はいっさい表わしません。
「どこにでもいるよ」と思えても、初めて見たような感動を表わして誉めます。


すると、ほとんどの新婦は喜びます。
「誰にでも言ってるんでしょ!」というような疑念を表わす新婦はいません。
結果的に、とてもいい空気に包まれるのです。


それに、優れた介添人さんは、新郎・新婦が発する微かな情報も見逃しません。
例えば、高砂の席に座っている新婦が横目で視線を送り少し顔を上下させるだけで、彼女の意思を察知します。
さらに、新婦が情報を送らなくても、心の状態を推察して行動できる上級者もいます。


かつてコミュニケーション嫌いだった私は、優れた介添人さんたちとの出会いによって、コミュニケーションの大切さを学びました。
彼女たちは仕事で介添人業をやっているプロですから、相手のいいところを見つけて誉めることも仕事の内なのでしょう。
そうすることで和やかな空気を作り、挙式・披露宴を心地よいものにしているのです。


もちろん、心にもないことを言うべきではありません。
しかし、心に少しあることをオーバー気味に言うことは悪いことではないでしょう。
むしろ、サービス業に携わるプロの職務だと考えることもできると思うのです。
その習慣が介添人さんを「相手のいいところ探しの達人」にしているのかもしれません。
私のコミュニケーションの先生は優れた介添人さんだと言ってもよさそうです。


ちなみに、私が連載している雑誌『ロゴスドン 第76号』(12月1日発売)の特集テーマは「コミュニケーション」です。
私のように、介添人さんという先生がいない方は、ぜひ、お読みになることをお勧めします。
コミュニケーション力をつけて、益々いい仕事をされることを願っています。


雑誌『ロゴスドン』は、発行元の出版社ホームページでご確認ください。
http://www.nu-su.com

ブライダルカメラマンをしていると、新婦のスッピンを見ることがよくあります。
新婦がメイク中の撮影を希望されるからです。

ザックリですが3割位の確率で、メイク中の撮影をしてきたように思います。

メイクをする場所は、女性専用のメイクルームだったり、男性は新郎だけが入ることのできるブライズルームだったりします。
ですから、ブライダルカメラマンは、男であっても、そんな神聖な場所にどうどうと入ることができる特殊な職人でもあります。


新婦のメイクを担当するメイクさんは、ほとんどが女性でした。
式場とは関係のない外部の持込メイクさんに男性がいたことはありますが。
ですから、ブライダルメイクの世界は、圧倒的に女性社会であることが分かります。


メイク作業中、メイクさんは、真剣勝負をしているということが伝わってきます。
特に、披露宴の中座中のメイクは、制限時間内に仕上げなければなりませんからね。
失敗したからやり直す、なんてことはできないのです。


例えば、披露宴の中に40分の中座時間を取っていたとします。
新婦のトイレチャンスはあまりありませんから、その間に行く必要があります。
和装から洋装、または洋装から和装へのチェンジの場合、メイク以外にも相当な時間がかかります。
メイク自体も、根本的なチェンジとなりますから、スッピンにしてからのスタートです。


中座中に写真スタジオで撮影する場合は、さらにメイクに使える時間は制限されます。
中座後の披露宴は、新婦友人のスピーチや両親への手紙朗読などで、新婦はよく涙を流します。
それで、せっかくのメイクが崩れます。
だから、中座中に写真スタジオで撮影をしておいた方がいいわけです。


そのように、メイクさんは、時間との戦いをしているのです。
そんなメイクさんに、カメラマンは指図なんかできません。

「もうちょっと左によって作業をしてくれたら、うまく撮れるのになー」
「すこし、そこで手をとめてほしいなー」
などなど、いろいろと心の中で思うことはあります。
しかし、それは絶対に言ってはいけないことです。


ブライダルのスナップ撮影が、スタジオ撮影や広告撮影などと最も違うのはその点です。
あくまでも、進行をさまたげないで撮らなければならないのです。
たとえ背景に人が入ってしまっても、シャッターは切らなければなりません。


「背景に人が入ったから撮りませんでした。」
「だから、そのシーンをもう一度やってください。」
なんてことをお願いすることはできません。

その意味では、報道カメラマンに近いような気もします。
挙式前や披露宴後に、新郎新婦だけでポーズ写真やイメージ写真を撮影する時は別ですが。


メイク中の撮影を希望した新婦も、圧倒的に比重はメイク自体においています。
新婦は、自分の最高にきれいな顔を来賓に披露したいのです。
ついでに、そのメイクさんの作業を記録に残しておきたい、という程度だと思います。
それを勘違いしてメイクシーン撮りに必死になると、カメラマンはメイクさんの足を引っ張ることになります。


それにしても、一口でメイクさんといっても、ピンからキリまでいます。
私が仕事をもらっている写真会社が契約している港区にある式場のメイクさんは、まさに芸術家です。

その芸術家としての能力の高さは、新婦の身内以外では、スッピンを見たカメラマンにしか分からないと思います。
つまり、そのスッピンと、メイク後の顔の違いを見なければ分からないということです。
その違いを見る度に、「メイクの魔術だな~」って、つくづく思います。


カメラマンは、あるがままの姿しか撮れません。
写真とは、真実を写すことです。


新婦のお母さんに、「美人に撮ってね!」と言われます。
「それは不可能です」とは言いません。
「頑張ります」と言うようにしています。
それが誠実な返答だと思うからです。


スナップのブライダルカメラマンは、クリエーティブとは言いがたいと思うのです。
しかし、メイクさんは、確実にクリエーティブです。
真実を写すカメラマンは、優れたメイクさんとの出会いを切望しているのです。


結婚披露宴にとって、料理はとても重要な要素です。
新郎・新婦が来賓をお招きして、そのお礼の意を込めて、料理をご用意して、召し上がっていただくのです。


お礼ということでいえば引き出物もあります。
しかし、来賓の最大の関心は料理にあると断言してもいいでしょう。

ですから、新郎・新婦も結婚披露宴会場を選ぶ際、見た目だけでなく、どんな料理を出してくれるかをチェックする必要があります。


ブライダルカメラマンは、料理の撮影をたのまれることがたまにあります。
もちろん、披露宴時間内にスナップで撮影するのですから、本格的な物撮りというわけにはいきません。
あくまでも、どんな料理が出たのかを記録として撮っておく程度のものです。
それでも、この12年間に、私は、ずいぶん多くの豪華な料理を撮影してきました。


スナップのブライダルカメラマンというのは、挙式が始まる1時間近く前から(メイク撮影がある場合はそれ以上前から)撮影を開始します。
そして、披露宴が終わって、さらに、いろいろとイメージ写真等を撮って、やっと撮影が終了します。
その間、ずーっと密着して撮影していますから、1組で5~6時間かかります。
2組続けてある場合は、10時間以上も、何も口にできないこともあります。


重いカメラ機材(2台分)を持って動き回りますし、スタッフはエレベーター使用禁止の会場もありますので、かなりの運動量になります。
消費カロリーは、そうとうなものだと思います。


ですから、当然、お腹が空いてきます。
そんな状態で、豪華な料理を目の当りにすると、精神的に、かなり印象深いものに感じられてきます。
つまり、私にとって、結婚披露宴の料理というものは、特別な存在感があるのです。


ホテル経営の成功のカギはブライダルにある、と言われます。
披露宴会場を2~3時間貸して、料理を出すことで、100万円も200万円も入ってくるのですからね。


ただ、会場という空間のハード面は、一度作ってしまえばいいでしょう。
料理は、そういうわけにはいきません。
その都度、料理人という生身の人間が作らなければいけません。


来賓の中には、とても舌の肥えた人がいるかもしれません。
味の好みも、10人10色です。
時間にも間に合わさなければなりません。


主賓のスピーチが終わるまでは、次の料理は出せないというケースが一般的です。
「デパートで高級車を売る」で書いたように長いスピーチをされると、限られた時間内に全ての料理を出すことが難しくなります。

しかし、料理人は、決まった料理を全て時間内に出さなければいけません。
来賓がまだ食べ終わっていないのに、勝手に料理を引き下げるわけにもいきません。
つまり、その都度、その状況に大きく影響を受けてしまうのです。


偉い人のわがままは、その回りで働く人の迷惑になるのです。
しわよせは、そんな人たちのところにくるのです。


そういう意味で私は、料理人に対して、同じ空間で勝負している同志という連帯感を持っていました。
そしてこの度、さらに私の料理人に対する同志愛が高まりました。


それは、私が連載している『ロゴスドン 第75号』(ヌース出版発行)の記事を読んだからです。
「職業人のいきがい探求」というコーナーに出ていた、プリンスホテルの料理人・佐野文彦さんのお話に感動しました。


彼は正式には、プリンスホテル系列の「ザ・プリンス パークタワー東京」の料理長です。
彼はフランス料理のコンクールで日本一となり、日本代表として出場した国際料理コンクールで世界第3位になった人です。
いってみれば、料理人のオリンピック銅メダリストです。


世界トップクラスの料理人のお話は、とても興味深く、ためになる内容でした。
道を極めた人のお話は、他のジャンルの人にとっても、多くの示唆を与えます。

成功者になるって、やっぱり、それなりの根性と意思と運を引き寄せる人柄が必要なんだなーって思いました。


『ロゴスドン 第75号』は出版社のホームぺージでご覧になれます。
http://www.nu-su.com

私の仕事場は、ほとんどが首都圏の中心部、つまり一都三県(千葉・埼玉・神奈川)です。

ごくたまに、茨城県があるくらいで、その他の関西や東北などにブライダルの仕事でいったことは、この12年の間に数回しかありません。

年に1回、帰省する時と、3ヶ月に1回、雑誌の取材で地方へ行く時以外は、首都圏中心部の喧噪の巷で生きてきました。


にもかかわらず、毎週のように、日本各地の雰囲気を直に感じています。

結婚披露宴の出席者の多くは、日本全国あらゆる地方の出身者だからです。


なかには、両親・親戚全員が、はるか遠くの地方から挙式・披露宴のために東京までやってきたというケースもありました。

出席者全員が東京在住なんてケースは、まずありえないといってもいいくらいです。


埼玉・千葉・神奈川で行なわれる披露宴の出席者は、その県在住の人が多いようですが、都内で行なわれる披露宴出席者の半数くらいは地方在住の人のような気がします。


都内で挙式・披露宴をする新郎・新婦は、たとえ今は都内に住んでいても、田舎で生まれ育った地方出身者であるという確率は7割を超えているように思います。


そのように、私は、毎週のようにブライダル撮影という仕事を通じて、日本全国の様々な方言や人柄や県民性に接しているのです。


ここで、日本人の県民性について論じようというつもりはございません。

ただ、田舎で生まれ育った新郎・新婦の方が、根性があるのではないかとは思います。

今までに1000組以上の新郎・新婦と接してきましたが、そんな経験からつちかわれた私の考えです。


私が地方出身者だから自然と持ってしまう偏見なのかもしれません。

しかし、私の考えを肯定するような雑誌の記事を見つけたのです。


『ロゴスドン 第75号』に掲載されていた杉浦太陽くんの「ドイツの追想」の記事です。

この雑誌に私は「ピンぼけ哲学」を連載しているのですが、毎号、芸能人が海外に行った思い出話も連載されているのです。
今回は杉浦太陽くんで、ドイツの森の幼稚園を取材したことから、彼なりの教育についての考えを書いていて、とても興味深いものでした。


特に杉浦くんの教育論に共感できたのは次のくだりです。


僕自身、自然とたわむれた幼いときの記憶はすごく鮮明に残っているんです。

例えば、川で遊んだりとか、虫を捕まえたりとか。

そういう頃って、すごく大事な時期だと思うんです。

成長段階において一番吸収できる、思い出に残る時期に、人間として生きる上で最も基本的なものを身に付ける。

人間として根性が身につきやすい時期に、自然とたわむれる中で、いろんなことを学びながらたくましくなっていく。

こんな教育って理想的だなーって思うようになりました。


この記事を読んで、私が12年間、ブライダル撮影を通して考えてきた人生論に合致しました。


人間の生まれつきの能力なんて、そんなに差があるものではない。

しかし、だんだんと差がついていく。

それは、その人が生後に身に付けた根性によるところがとても大きい。


この私の人生論と、杉浦くんがドイツ取材で考えた教育論、相通じるところがあると思うのです。


ちなみに、杉浦くんがドイツでホームステイした家庭は、子供の教育のために、都会から田舎に引っ越したそうです。

私も、今は東京で生活していますが、結婚して子供ができたら、田舎に引っ越そうかなーって本気で考えています。


『ロゴスドン 第75号』は出版社のホームぺージでご覧になれます。

http://www.nu-su.com

結婚披露宴の主賓のスピーチは、新郎新婦の関係者以外の人にとっても非常に役立つお話がよくあります。
主賓とは、来賓の中で最も主要な人物です。新郎側の主賓と新婦側の主賓が一人づついるのが一般的です。


新郎新婦との関係は、会社の上司だったり学生時代の先生だったりと様々です。
共通して言えることは、新郎新婦にとって大切な人であり恩人でもあるということです。


そんな人ですから、結婚披露宴の中心的なスピーチであり、披露宴開始直後に行なわれることが多いのです。
まだ、会場内の空気は緊張ぎみですから、来賓全員が真剣に聞いています。


主賓は、社会的にもそれなりに成功した人が多いですから、話にも説得力があります。
そんなに長いスピーチではありませんから、講演とまではいきませんが、「プチ講演」レベルの人はいます。


中には、政治家もいましたし、学者もいましたし、高級官僚もいましたし、大企業の取締役もいました。
彼らは身内に話す感覚でスピーチしますから、本音の話が多く、実に面白いものです。


その一方で、場違いなスピーチをする主賓もいるものです。
自分の自慢話だったり、来賓にはとても理解できない専門用語を多用した話だったり。


披露宴の内容が盛りだくさんでギリギリのスケジュールの時に、20分以上も話し続けた主賓もいました。
主賓だけに、誰も文句が言えないのです。
披露宴を仕切るキャプテンは、冷や汗をかいていたそうです。
主賓のスピーチを途中で止めさせたりしたら、間違いなくクレームがつきますからね。
司会者にも、そんな勇気はありません。
新郎新婦にも、恩人に向かって、そんなことはできません。
まさに、裸の王様状態です。


話が面白いとか、役立つとか、人生のためになるような内容なら多少長くても来賓は有り難がって聞いています。


ところが、その反対の場合、非常に困った空気が披露宴会場内を包みます。
それでも、その主賓は、空気が読めないのです。
つまり、今流行りのKYです。


私の12年間の経験からすると、KY率の高い人種は、学校の先生です。
特に、一流大学の教授にひどい人が多いようです。
偏差値の高い人だけを相手にしてきたからか、凡人の気持ちが分からないのかもしれません。


もちろん、先生も人間ですから、いろんな人がいます。
学者バカにならないように、一般人と積極的に交流している先生もいます。
そんな先生は、一般人に分かるような表現をしようと努力しています。
けっして、難解な専門用語を、一般人に対して平気で使ったりはしません。


その逆に、学界という狭い世界の中で認められることしか考えない学者もいます。
学者の発言としての正確さを優先し、曖昧な表現をさけるのです。
だから、一般人には、理解しずらいのです。
一般人からすれば、漠然とでも、理解できればいいのです。
しかし、そんな人の心や空気が、彼らは読めないのです。


前回、「哲学者は、思考の技術者です」と書きました。
しかし、それは大学のKYな哲学研究者のことではありません。


哲学に人生の悩みの解決法を求め、哲学書を読もうとした人は多いでしょう。
私も、その一人です。
しかし、語彙の難しさや言い回しの分かり難さから、理解できずに途中で投げ出しました。
きっと、読者の中にも、そんな経験のある人がいると思います。


これは、決して、私たちが悪いのではないのです。
自分の業績ばかりを優先させる大学の哲学研究者に責任があるのです。
哲学書といわれるものは、ほとんどがそんな学者によって書かれた学術書です。
だから、難解で一般人には役立たない哲学書に出会う確率が高いのです。


しかし、前回も紹介した『生きた哲学の課外授業』(鷲田小彌太著/ヌース出版発行)は、そんな哲学書ではありません。
著者のホームページの「読書日日」を見れば分かりますが、この先生は毎週のようにススキノで飲んだくれています。
つまり、一般人と交流することの方が多い人だということです。


いかに、この本が一般人のために書かれたかが分かるように、本文の一部を紹介します。

 

 ある女が、横のボックスに座って、「死にたい」という。
 「一緒に死んでやろうか」とつぶやいたところ、ぶすっとした顔で席を立った。
 こういうスタイルで考えたい、それが私の第一の願いだ。
 もちろん、コンビニには小物が品数多くあるのがいい。
 「教養」とは雑学である。
 私は、哲学は雑学にしくはない、とかなり執拗に言い続けてきたため、クイズ王などに繋がる変なオッサンと思   われがちである。
 それが少しも嫌なことではないのは、私が目指すのが、立花隆のような大仰な雑学、デパートで高級車を売る ような真似ではないからだ。
 
結婚披露宴の主賓にも、デパートで高級車を売るようなスピーチをする人がいます。
つまり、場違いなスピーチなのです。
そんな席で、厳密さは必要ないですし、求められてもいないのです。
しゃべっている本人は立派なことを言っているつもりですが、披露宴会場の来賓にとっては、何の意味もなく、かえって迷惑なのです。
そのことに気づいていない人に「偉い人」が多いのも、実に困ったものだと思います。


『生きた哲学の課外授業』は著者または出版社のホームぺージでご覧になれます。
著 者 http://www8.ocn.ne.jp/~washida/
出版社 http://www.nu-su.com

結婚についてより深く考えるためには、家族について考えることも非常に有効です。
「考える」といっても、漠然と考えていたのでは、ろくな考えは出てきません。
考えるための適切な材料があった方がいいのです。


よく考えるためには、それなりの技術があったほうがいいでしょう。
哲学者は、思考の技術者です。
そんな哲学者が書いた新刊『生きた哲学の課外授業』(鷲田小彌太著/ヌース出版発行)は、適切な材料であり、かつ考える技術が学べます。


その本の第一四講に、「家族の哲学」が掲載されています。
結婚に興味のある人は、ぜひともお読みになることをお勧めします。
(ちなみに、他の講も、実に分かり易く、面白く、ためになります。)


オビに書いてある文章を参考までに紹介します。


「哲学はコンビニだ」「哲学はバブルだ」
現実の生活に通用する思考の技術満載!
人間が生きていく上で重要なテーマを哲学者・鷲田小彌太が本音で語り尽くす。
「どう考え」「どう生きたらいいのか」を最上の問題とし、生きた哲学である現実の生活に通用する思考の技術を教授する、一般人のための課外講座。


なぜ、数多くある本の中で私がこれを紹介したかというと、2つ理由があります。
1つ目は、この文章を読んでいる方は「結婚」に関心があり、そんな方にとって「家族の哲学」はきっと役立つと思うからです。
2つ目は、私が、この本の装丁を手がけたからです。
(奥付の右隣のページに、私の名前がのっています。)


装丁の仕事は、これが初めてです。
これをきっかけに、平日は副業として装丁の仕事もやっていきたいと考えています。


カメラマンの仕事と装丁の仕事は、一見関連がなさそうですよね。
しかし、双方とも、構図が命です。

本の場合は、カメラのフレームでいうと、縦位置です。
この長方形の中に、どんなバランスで、どんな形の文字を入れ、どんなイラストや写真を入れるかです。
写真の場合も、この長方形の中に、どう被写体を入れるか、どう切り取るかです。
(写真の場合は、他にもいろいろありますが、基本はとても装丁と似ています。)


つまり、カメラマンと装丁者は、脳(たぶん右脳)の似た部分を使っているように感じるのです。
プロのカメラマンとしては、曲がりなりにも12年間やってこられましたが、装丁者としてはどうなるのか?
この私のデビュー作『生きた哲学の課外授業』の装丁のご感想を、ぜひともお聞かせください。


表紙は著者または出版社のホームぺージでご覧になれます。
著 者 http://www8.ocn.ne.jp/~washida/
出版社 http://www.nu-su.com