近年少子高齢化により若者の将来に対する不安が増していっています。同時に賃金の格差が広がっていて、今後ますます不安定な世の中になると考えられています。

しかし不安が募るだけで実際に行動に移している人が少ないのではないでしょうか?第二次世界大戦が終わり、高度経済成長を経て、現在に至るわけですが、この間に人々は生活の豊かさを手にいれました。100年前は生きるのに必死であり、最低限の費用で衣食住していたのではないでしょうか?現在は第三次産業が盛んであり、ファッションや映画やショッピング、旅行といった娯楽に多く出費しているように思います。

この感状が悪いといっているのではありません。しかしここに投資したとしても生活が向上しないと考えています。今あげたことは日本の魅力を向上させているならまだ投資の価値があるかもしれません。しかしグローバル化が進み、ファッションは均質化し、映画はどこの国のものでも観ることができます。旅行に至っては、海外に投資しているといっても過言ではありません。

一方でインフラはどうでしょうか。インフラは国有資産であり、国の魅力を上げるものでもありますが、都心の多くは高度経済成長期のままであり、また機能性を重視して建設されたことにより、景観を損ねることに繋がっています。また日本は明治期にアメリカやヨーロッパの文化の良いところを模倣する形をより固有の価値観を薄める結果となりました。結果、統一感のない都市へと変貌しました。

また日本は先進国には珍しく、地上に電線が剥き出し状態であります。多くの先進国は地中に送電線を埋めており、非常によい景観を保っていますが、日本はコストを優先して、地上に残ったままです。

都市開発をしようと志しても、企業間の競争により、一貫した開発には至ってはいないです。唯一京都は日本古来の文化を守っており、魅力的な都市となっています。

国が主導で都市開発に取りかかれば良いのですが、国は福祉や教育のことで手一杯な状態であります。

では福祉は成果をあげているのか。我々は、ファーストフードなど不健康な生活を送っている人が多いです。またタバコなど害しかなさないものを許している現状があります。

企業は資本主義の弊害で利益ばかりを考え、安価で身体に害をなす商品を平気で販売しています。自動販売機の半分近くはジュースであり、これは国民にジュースを飲んで不健康になりましょうとキャンペーンしているに等しい行為ではないでしょうか。また日本人のお米の国であり、米を3食食べることが美徳であるかのように考えられています。昔は、お米は貴重な糖質であり、重宝されるべき食品でした。しかし現在は様々な食品で糖分を摂取できるため、3食食べる必要がないと言われています。そもそと昔は2食であったため、毎食お米を食べても過剰摂取にならなかったのではないでしょうか。

またコンビニに目を向けてみると、簡易に食べることの出きるものの多くが糖質です。おにぎり、パン、サンドイッチ、パスタ。弁当にしてもおかずだけのお弁当は少ないです。コンビニは、我々に糖尿病になってほしいのでしょうか?

お酒の文化もそうです。日本は取り敢えず生ビールを頼むという文化がありますよね。その文化のためか社会人になると肥満体型になる人が後をたちません。ビールは糖質の多く含み、また空腹時の液体での糖質の摂取であることが多いため、身体に対する害は甚大です。

タバコに関してはどうでしょう。タバコの値段を上げるなどの措置がなされましたが、公共の場に税金を使って、喫煙スペースをつくることは、国が喫煙を是正していることに等しいのではないでしょうか?本来は国民の健康を向上させるために使うべき税金を国民の健康を低下させることを推進しているのです。


我々は福祉に投資しようとしているにも関わらず、自ら健康を害する生活をしているのです。

では教育はどうでしょうか。国力を向上させるのに、優れた国民は必要不可欠です。その意味でも教育への投資は大きな意味を持ちます。しかし、政府がしていることは教育を受けれるようにすることです。これは、現状の教育制度が良いという前提で話が進んでいるということです。

しかし、私は現状の教育制度を1度壊す必要があると考えています。今の制度下において、我々は低能な人なら知識を詰め込むことを是とする教育を受けています。また日本人の文化は中間値からの差異に敏感であり、この現状を大多数が承認していることから受け入れています。

自分が受けてきた教育を考えてみてください。また周りの教師になる人を考えてみてください。この人は偉大な人だったという人はいますか。歴史に名を残すような教育者は戦後皆無といっていいでしょう。

それはなぜか?教育が大切といいながら、教育に投資できていないからです。資金面を改善すれば国民の賃金格差が解消できると考えているかもしれません。しかし、高等教育、大学教育で真面目に授業を受けている人が何人いるでしょうか?私は、高校、大学と国内トップレベルの教育を受けてきましたが、そこであってもごく一部の人間しか真面目に受けていませんでした。国内上位5%の人材がです。では平均してどのくらいの人が真面目に講義を受けているのでしょうか?おそらく皆無に等しいのではないでしょうか?

日本の大学は人生の夏休みと言われ、高校は大学に入るための場と言われています。つまり我々は教育から何も得ていないのです。しかし国はこの教育を受けることに意味があると考えています。

私は、日本の教育はある種のステータスにしかなっていないと思います。この大学を出たからある程度の考えがある人であると保証されているなと。しかし高学歴の人は暗記が出きること、情報を処理できることを保証しているに過ぎません。価値を創造できる保証はないのです。

戦後の経済では、情報を正確に処理して大量生産できることが求められたのでよかったのかもしれません。しかし現在は問題の創造が求められています。

問題を創造するには、普通から逸脱することが求められます。例えば、制服はどうですか?制服は軍服から来ているそうですが、制服は必要ですか。制服を着ることでこの学校にいっていることが一目でわかること、私服がいらないことがありますが、高価であり、また卒業と同時にゴミになります。無駄な制度ではないですか。それよりも自分が好きな服や意味のあることに投資したいですよね。しかし私達は制服を着るのが普通であり、変えようとしません。これを問題と認識できていないからです。
このように1度制度化され、文化となったことを破壊するには問題の創造が必要となります。

では今の日本の教育で問題の創造ができる人材がどのくらいいるのでしょうか?私は小学校から大学院まで19年教育を受けてきましたが、偉大な人と感じたのは数人です。その他はカリキュラム通りにただ知識を伝えるだけ。知識を伝えるのは、ネット環境が整った今は不必要な教育です。

知識の伝達ではなく、思考の場としての教育へと転換していくべきなのです。正解のない事柄に自分なりの解を探し、教育者の解を幅広い知見から提示する。生徒は自分の視野が狭かったことを自覚して、より最適解を導こうとする。このような好循環を生み出すことが必要になります。ただ単に知識を詰め込むのではなく、思考することが大切となります。

このような教育をするには、現状の教師では厳しいと思います。先にもあげましたが、教師に偉大な人物は皆無です。特に人格形成がされる中学、高校の教師になる人は、子供が好き、教師に憧れていたなど短絡的な考えを持った人が多いように思います。現在の世界情勢など幅広いことに興味関心がある人はまず教師になりません。現状の詰め込みの教育制度に魅力を感じないからです。我々が昭和に良しとしてきた制度が逆に魅力をなくしているのです。

このように今日本が税金を投じている事柄は、今問題視されている事柄であり、価値があるように思うかもしれません。しかし、実際は問題の表層を改善しようとしているだけにすぎません。私は、今の取り組みでは問題は解決できないと考えています。問題を解決するには今の制度、文化を壊す必要があります。これまでの制度をリセットする必要があります。インフラ、食事、教育などを根本的に変えなければなりません。

我々は、戦後急速に発展していきましたが、一方で様々なものが制度化されてしまい変わることが難しくなったのかもしれません。我々は、制度を壊さなくてはならないことを意識するだけでも成長できるのかもしれません。