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Kaedeのブログ

独断と偏見に任せて、不定期に更新中。



8月6日の広島原爆の日に続き


今日は長崎原爆の日。

祖父が16歳の時に広島で被爆。
そのせいか、小さい時から平和学習はすごくされてきた。

母親から聞いた祖父の被爆体験は
とても想像のつかない体験で、祖父曰く、「言葉で表せない」だそうだ。

曾祖父は出勤しようとした時に原爆が落ち、家の下敷きになり、家の跡地に行ったら自転車と一緒に、骨がそのまま残っていたそうだ。

曾祖母はある建物で保護され、横に並べられているところを父親が来て、「お父さん」の呼び掛けに対し、振り向いた父親は自分が知ってる娘の面影などどこにもなく、顔がパンパンに腫れ上がり、大火傷をおった娘を西条まで連れて帰ったそうだ。

そして祖父は原爆が投下された時は江波にいて、直接原爆にはあっていないものの、広島方面から見えた熱線と爆風に何かあったんだと悟り、広島に戻る帰路はまさに言葉に言い表せない地獄絵図だったと母から聞いた。
電柱には人がぶら下がり、腕の皮膚は肩から指先の長さそのものがずる剥けになって垂れ下がり、髪の毛は逆立ち、皆が皆、防火水槽に頭を突っ込んで亡くなっていたという。

祖父には兄弟がいて、妹は疎開していて助かったものの、下の妹は僅か3歳で原爆にあい、亡くなり、弟は少し離れた地で被爆していて、下血や嘔吐、所謂原爆症で苦しんだそうだ。
家の跡地にあった金庫には自分の母の父親が書き残した「AとB(祖父と弟の名前)、西条に来い」という炭で書いた書き置きを見て、西条に行ったら、そこには姿が変わり果てた母がいて、それからというもの、顔や体から絶えなく湧き出るウジ虫をピンセットでとるのが日課だったそうだ。


祖父は数年前に喉頭癌で亡くなった。
確かに私も小さかったし、もし、祖父からこの原爆体験を聞いていたとしても、理解出来なかっただろう。
母の口からでも、この話を聞けてよかったと思う。

長崎市長の平和宣言を聴いていただけただろうか。
日本政府が同じ過ちを繰り返そうとする道に進んでどうするのだ
核撲滅は遠い夢にするのではなく、今からでも廃絶に向かうべきだ


まさにその通りだと思う。

長崎市長の平和宣言はtwitter、facebookを通して賛同が広がっている。
是非とも目を通していただきたいと思う。



久しぶりにまともなこと書いたら頭痛くなってきちゃった。笑

平和な世の中に生まれたことに感謝して、帰ってビールを飲もう^^←