私は、大学1年生時には関西学生、西日本学生共ラン決で敗れたが、全日本では50年前のあのドルトムント世界選手権団体戦で全勝したカット打ちの名手村上輝夫選手などに勝ちベスト16入りし、翌年の2年生時以降は関西学生SW共2度関西制覇、全日本はベスト8、4入り全日本代表で中国遠征にも選ばれ順調な選手生活を送れた。私のような凡才でも出来た。
私の大学1年時の時は、誰とは言わぬが私の将来性を疑問視していた先輩が多数いたことは知っている。
「クソ・・・」と思った。絶対見返してやると・・・・。
そう思っていた矢先、ちょうど今頃の時期、全日本選手権前の中央大学との王座決定戦前の淡路島合宿で、突如私が松原さんのWパートナーに起用されることになった。
嫌だった。練習中松原先輩から技量の未熟さを頻繁に指摘されるし毎日気が重かった・・・
捨てる神もあれば救いの先輩も出てくるものだ。
そんな状況下に、松原さんと同期で前年全日本ベスト8入りされていた近藤全博先輩(38年卒)が自らの戦績、キャリアをかなぐり毎日1時間私の未熟なカット技術を「三木圭一氏のドライブ攻撃に耐え得る」まで高めてくれる練習に時間を割いて頂いた。
私は苦しかったが、日毎にドライブ返球に進歩を自覚出来合宿を終え、「なんと本番の王座決定戦では二日とも日本Wチャンピオンの三木・瀬川組に2連勝」
残念ながら団体戦では7-8で中央大学に惜敗、関学の2連覇はならなかったが、その1か月後の全日本では私はカット打ちの名手で50年前のドルトムント世界選手権団体戦全勝の村上輝夫選手に勝ち、ベスト16入り。
以降関西学生SW共2度制覇。全日本もベスト8、ベスト4入りとまずまずの選手生活を送れたきっかけは近藤全博先輩の厳しくも温かいご指導のおかげで今日の私がある。
近藤先輩には、齢70歳を前にしてもお会いすれば、直立不動、畏怖の念がある。
有難き先輩。
今の関学現役諸君は私より資質の高い男女選手が大半。
ちょっとの工夫、練習量の増加で関西はおろか全日本でも活躍できますよ。
私のケースを他山の石としてインカレで優勝してほしいもの。