最終章 大阪脱出

 なんとかこうやって地獄の暮らしに終止符を打つことができた。いじめに精神疾患に虐待に浪人…なかなか過酷な半生であった。ただただ苦しかった。辛かった……。最良の人生とは何だったのか、未だに分からない。少なくとも今までの人生は絶対に最良のものではなかったであろう。しかしせめてこれからだけでもマシな人生の希求だけは諦めてはならないという思いが強く自分の中に残っている。それこそが自分が2024年3月10日に蹴落とし、人生を狂わせた440人への贖罪であり、弔いであり、手向けであり、そして責任である。まだまだ戦いは終わらない。

 ならばどうやってマシな人生を築き上げるのか。これもはっきり言って分からない。人並みの幸せとはそもそも何なのだろうか。あくまでも人並み、マジョリティの感じる幸せである。やはり家庭を築き上げることであろうか。そうだとすれば自分は絶対にその幸せを享受できない。別に誰かと恋愛する未来はどう考えてもあり得ないと絶望しているわけではないし、恋愛を冷笑する厨二病的発想に陥っているわけでもない。理由はある。一つは家族仲。先ほどまで述べた通り父や妹はともかくとして母や兄との関係修復は絶望的だ。そしてこの日本という国では現実として密接なつながりが重要視される。封建制以前ほどではないが、現代でもその傾向は変わらない。血の鎖と、地の鎖。こんなものにガンジガラメになるわけにはいかない。なりたくない。なるべきではない。しかしもし家庭を持つとすればこの何重もの鎖の中に再び入っていくこととなるだろう。それだけは絶対にごめんだ。もう一つ明確な理由がある。私が母親から虐待を受けてきたことは先に述べた通りである。ここで立ち止まって考えてほしい。なぜ母親は虐待に手を染めるようになったのか?なぜ母親は一段と私に対して激しい態度を取るようになったのか?私は三人兄妹の真ん中である。兄がおり、そして妹が下にいる。三人兄弟の真ん中は一番悲惨であるのだ。一番上は年長者だから何かと期待され、一番下は何かと可愛がられる。私の母親も…三人兄妹の真ん中であった。兄と妹に挟まれていたのである。次に何を書くかは察しがつくだろう。私の母親もまた…私の祖母から虐待を受けていた。暴言を吐かれ、すりこぎや金属製のハンガーで日常的に叩かれていたらしい。だからといって同情的になるわけはない。自分がされたからといって同じ穴のムジナになるような輩は低能低俗で思慮不足な愚か者以外に形容のしようがないからである。ならばなぜこのようなことを書いたのか。ある一つの真理に辿りついてしまったからだ。すなわち、「虐待は遺伝する」。自分の中に攻撃性や凶暴性が潜んでいることは自覚している。もし誰かと共同生活をすることがあれば確実に何かしらの形でこの暴力性は発露する。それだけは絶対に避けなければならない。何があっても。同じ穴のムジナになってしまえば過去の自分に、この19年何とかして生き長らえてきた自分に顔向けができないのである。結婚して、子供を持ち、家庭を作り、病院のベッドで孫たちに看取られながら死んでいく…そんな人並みの幸せなんぞ糞食らえだ。マシな人生の基準が何になるかは分からないが―趣味になるかもしれないし仕事になるかもしれない、あるいは他の何かになるかもしれない―修羅の道を相も変わらず突き進むことになりそうなのには正直言ってうんざりせずにはいられない。

 

 

 最後に直近の話をしよう。今述べた通りこれからの長期的な人生はどうなるかは分からない。ただしようやく自由を手にすることができる。このことは決して変わりえない事実である。自由。19年間、夢に見続けたがどうしても手に入らなかった自由。怒鳴られ、殴られ、もしかしたら殺されるかもしれないという恐怖から無縁の世界。ついに、とうとう手に入るのだ。『進撃の巨人』という漫画がある。語り始めたら長くなるので深入りはしないが、あらすじは壁に囲まれた世界に住む登場人物たちが自由を手に入れるために人食い巨人のうろつく外界へ打って出るというものである。私は完結後、高校2年生の時に知ったのだが瞬く間にハマった。ドハマりした。その理由はいくつかあるのだが、最大の要因は少し考えたらすぐに分かった。作中の主人公、エレン・イェーガーの台詞にこんなものがある。

 

オレ達は皆生まれたときから自由だ。それを拒むものがどれだけ強くても関係ない。炎の水でも氷の大地でも何でもいい。それをみたものはこの世界で一番の自由を手に入れたものだ。戦え!!そのためならいのちなんか惜しくないどれだけ世界が恐ろしくても関係ないどれだけ世界が残酷でも関係ない。戦え!!戦え!!戦え!!

 

ここまで読んできたあなたたちならば、すぐに合点が行ったことだろう。私はエレン・イェーガーに自分自身を投影していたのである。家庭という名の壁はあまりに強固で、母親という巨人は絶対に倒すことができず蹂躙されてきた。圧倒的な弱者であった。私にとっては時計台の前にある楠こそが、炎の水であり氷の大地であったのだ。一般に自由の学風の象徴とされているあの光景が、自分という個別の具体的存在にとっても自由の象徴になっていたのだ。自由を求めて進み続けた終着点が今、目の前に来ている。

 自由な世界で私はどうなるのだろう。荒川弘という北海道の農家に生まれた漫画家がエッセイで語っていたのだが、北海道の農家はどのようなことをしていても常にクマ注意という意識が頭の中にあるらしい。ゆえに都会での生活だとクマが出没することはないからその分だけ脳のメモリが増えて快適である、と。大方これと似た感じになるのであろう。快適になるのであろうか。あまりにもデータ容量を圧迫しすぎたコンピュータはその圧迫容量が急激に減ると動作に不具合を起こすとも聞いた。行動に不具合を起こすのであろうか。どちらかは始まってみないと分からない。

 

 新生活への不安はありつつも希望の方が遥かに大きい。しかし一方で心残りというのが一つだけある。大阪を捨てることだ。今まで述べてきた通り、大阪での経験とはほとんどが苦いものである。しかしそれでも自分は大阪人なのだという意識を持っている。不思議なことに誇りに似ているのだ。どれだけ標準語を喋ろうとしても関西弁特有のイントネーションは外れないし、エレベータは右に立つものと教わってきたし、りくろーおじさんのチーズケーキや551蓬莱の豚まんは大好きだし、「関西電気保安協会」や「ホテルニューアワジ」を正しく読み上げることもできる(ローカルネタになってしまい申し訳ない)。喋るのが好き、人を笑わせるのが好き、という性質は間違いなくこの郷土で生まれ育ったことがその形成に関係している。家庭をどれだけ憎もうと、自分は大阪が好きなのであろう。だからこそ、大阪を捨てることにちょっとした抵抗を感じるのだ。別に京都と大阪なんて大した違いはないだろう、という指摘は甘んじて受け入れる。地理的にも大して離れてはいない。しかし心情的に大阪に住んでいるかいないかだと微妙な差が生まれる。パズルのピースが一枚だけ合わないかのようなささいな違和感、その小さな小さな違いを重要視しているのだ。ただ、それでも大阪を捨てなければならない。この憎いけど愛しくもある土地を離れなければならない。なぜか。生きるためだ。この家から一刻も早く脱出しなければいつ死んでもおかしくない。これは本気で言っている。曲がりなりにも生活の面倒をこれまで見てくれ、これからも一定期間支援してくれる相手に対しての不義理は自覚している。親不孝者と罵りたければ罵るがいい。暴力と暴言があったとしても19年、衣食住を保証してくれたのだから感謝するのが当然だと言われても構わない。そんな批判は重々承知の上だ。少なくともこの国では、地と血の鎖は痛々しいばかりに強固である。そんな国で親を恨むリスクというのはこれまで何度も考えてきた。生半可な覚悟でこの文を今日書ける状態に達しているのではない。だからこそ、大阪を捨てようとしているのだ。大阪脱出。この忌まわしいが愛おしい、憎々しいが懐かしい土地を離れない限り未来はない。いつになったら戻ってこられるか分からない。もしかしたら数年のうちにあっさりと戻っているかもしれない。もしかしたら一生戻ることはないかもしれない。ただそれでも、少なくとも今だけは、大阪を去るのである。京都での暮らしはどうなるか分からないが、ほどほどに頑張っていこうと思う。血と地の鎖とは無縁な状態で、胸を張って大阪に戻れることを信じて。

 

(終)