ぼくの目は殺せない 殺せない 殺せない
殺せない 殺せない 殺せない

病気になろうが 潰れようが 爛れようが 光を失おうが殺せない殺せない殺せない

殺させやしない





殺させやしない

 諦観、と聞くと「諦」の文字から物事を諦めた上での価値観であると誤解されがちだが、
実は仏教用語で「諦」は真理、明理を意味する言葉である。
 語源としてアキラカニミル、がアキラメル、と言葉がすり替わり、今日使われている「諦める」に繋がっている。
 つまり本当に意味での諦観とは物事の真理を理解したうえで見る価値観、と言える。
 主に仏教において真理とは宇宙や大いなる自然(この時の自然、とは樹木や清流でなく、因縁の意味に近いもの)の摂理を元に
壮大な観点で物事を捉えることにある。
 自分は大いなる宇宙の一部であり、また自身も小さいながらも宇宙なのだと理解することで、日々を一喜一憂することなく、心豊かに過ごすことが出来るのである。

 は?自分も大いなる宇宙だと理解する?わけわかんない。と仰る人もいることだろう。
 そんな時に役立つのがこの金玉諦観論なのである。

 とは言ってもこちとら野狐禅。
 日々を(そこそこ)一喜一憂することなく、(まあまあ)心豊かに過ごすことが出来る、ぐらいなものではある。と前もって記しておく。

 さて、簡単に諦観を学んだ上で、お手元にある金玉をご覧いただきたい。
 冷気に晒されればクルミほどに縮こまり、暖気に触れれば餅巾着のようにのびのびするのは女性でも知っていることだが、
 実は金玉は常に動いている。
 日常的に、一定の大きさを保ちながら常に膨張、そして収縮している。
 心臓が日常的に動いている、のは誰でも知っているし、日夜細胞が生まれ変わりを繰り返すことも知っているとは思う。
 しかしそれを目視確認することはなかなか出来ないし、理解することも実は難しい。だが金玉は違う。
 金玉は見る、どころか触れられるのだ。金玉は動いていることを実感できる、唯一の部位なのである。
 常に膨張、収縮を繰り返す姿はさながら宇宙。
 精子は天体そのもの、泳ぐ姿は流星群、劣化精子やちんかすは、さしずめスペースデプリ。
 そう言えなくはないだろうか。
 そして我々の日常的に起こる問題の起因の大半はこの金玉によるものである。
 いい家住みたい、いい車乗りたい、いい服着たい、いい飯食いたい、女食いたい。金が欲しい。
 これら沸き起こる衝動が人と人との軋轢、憎しみを呼ぶのである。
 ばからしい。

どれほどの道を歩かねばならぬのか
男と呼ばれるために
どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか
砂の上で安らげるために
どれほどの弾が撃たれねばならぬのか
殺戮をやめさせるために

どれほど人は生きねばならぬのか
どれほど首をかしげねばならぬのか

どれほど多くの人が死なねばならぬのか
死が無益だと知るために

 答えは金玉の中。
 諦観を備えていれば、金玉を見るだけで悩みごとが薄れるのだ。
 金玉の中にあると考えると、欲望とはまさにとんまだ。
 さあ金玉を見よう。

 何より、その金玉のポップな外観に笑えては、きやしないだろうか?
 僕は、笑えてくる。

 そして僕は今日も叫ぶ。金玉。童貞。

 
 ちなみに女性も、関係ないと思うなかれ。
 女性も結局、この諦観による金玉の存在意義に気付かない愚者(ザ・フール)に惑わされている。
 身近に潜む、金玉をしっかり触れ、目視し、

 時には遠ざけてください。

芋虫は自分がやがて鮮やかな蝶に成るとわかって日々を重ねてゆくのだろうか。
そうではないだろう。
何に成ろうとも懸命に生きた上で蛹(さなぎ)と化し、繭を張るのだ。
たとえそれが蛾であろうと、湯煎される蚕であろうとも。

成すべきことを成して、自分の運命を嘆くべきだ。


パーシャルデント
マーシャルアーツ
マーティフリードマン
ドクターマーチン
ドクターペッパー
サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド
ペニスバンド
バンドアパート
トンマロンマ
マロンブッセ
もうかりまっせ

どついたるねん

neco眠る

答えは簡単。
すぐ導きだせる。
ただその答えに応えるのが堪(こた)える。
堪えたくない応えたくない答えたくない。
先延ばし、先延ばし、生き延ばし…。
だから死を望むのか。

麩が溜まる。

ぽこぽこ麩が胸で膨張。

溢れんばかりの麩。

嘔吐せんばかりの身体に溢れる麩。

ぱさぱさでかさかさでちょいがいが。胸焼ける。

おえっと口を開けて、おえっとできたらいいのに。

鯉が鯉が。

ぱくぱく鯉が食べてくれたらいいのに。


ネットの自殺掲示板に
「一緒に自殺してくれる方募集します!よろしくお願いします!」
という書き込みがあった。
自殺という、これ以上なく差し迫られた言葉と、前向きにも聞こえる語尾の感嘆符。
低姿勢ながらも、自殺に対する熱意が覗かせる。
一文に、相、対する色の言葉が同居していることで、
居心地の悪い、複雑な気持ちを通り越して少し笑えてきてしまった。
生きてる意味なんて

ねーよ。

ねーは、ねーけど、それでも精一杯生きるんだろうが。


でも、個人的に、生きる「理由」には自信は、ない。

愛してくれる両親が亡くなったら、弟が、家族がいなくなったら、もうさっさと自殺したい気持ちでいっぱい。


うまいことしにたい
自分自身の薄っぺらさにはほとほと悲しくなりますけど、一生付き合っていかなきゃいけないし、どう厚みを持たせるか、だなー。一つ一つの言葉、文章、行動、出来事を咀嚼することから始めよう。新聞紙も何十回も折ってったら月まで届くって言うしね。…よくわかんないけど。