市長選の公約




公衆に政策を約束すること。・・・端的に言えば、これが「公約」である。

私は人様のことを言うつもりはない。自分のこと(経験)を言うことで、結果、

凛とした実効的な有意義な「公約」に基いた選挙を期待したいのである。


私は公約についてこう考える。

①民主党が言い出したマニフェストという自分にも分からないようなことを

変にやる必要はない。余り細かく書くと、政治は生き物だから順序や時期が

変わりかねないしろものである。だから分かりやすい自分流で良いと思う。


②政策といいながら、自分自身に課題認識も無く、公共的な目的も具体の

手段も無く、こうしたいという方針も見えない。手段なき政策は政策とはいえない。


③単に使命感無き票ほしさのムードとイメージとスローガンで誤魔化すような無能力者の手に

(市民各位には)かからないことに注意して欲しい。例えばこういうことがあった。

「クリーンセンターは重要な事業です」・・・ ここまではその通りである。(だからこそ逃げなかったのだ。)


ところが問題はその先にあった。


「だから、わたくしは強引な手法は採らず誠心誠意よく話し合い、十分ご理解を得てゆきたい。」

と公約?したエセ民主主義者?がいた。合意が終んだ3年以上も後のことなのにである。


言葉だけ見るとなるほど美しい。ところが棘(とげ)の部分がなかなか理解されない。つまり公式に済んだことをもう一度ぶり返すことなのである。発言者の意図は、すんだことではなく現に反対といっているから、聞いてあげることは優しくすることだ。私は優しい人間だ。これを聞いてあげないのは優しくない人間である。

と言っているのであろう。2人の対立になると,優しいほうと優しくないほうの2元論的対立に持ち込まれるのである。(いわば、偽善者の手にのってはならないのである。)


ところが、こっちは、クリーンセンター(ゴミ処理場)という難物に公募立候補制という合意と参加の手法を取り入れ、町内組織で街づくりの観点から地元合意を得て、地域一丸になって次のステップにすすめていたから、地元はいよいよ出番になっていた。人の苦労を全然理解しない、「為にする作戦」だったのである。


言っておきたいが、このたびの、あるべき市長選は、*真の見識ある合意と参加の民主主義者と何の見識も信念もない単にその場限りで自分の立場を有利にしたいだけのエセ人間との対比という事ではないか。

この辺がはっきりしないとしらける。しらけたら・・・こういう場合はしらけさせるのもペテン師の手だ。よもやまさかの原因に誘導しているのか。ここは大事な争点かも。巧言令色少なし仁!!要注意!!


津山市の未来や国のプライドを重要に考えるか否か?まともな、常識的な政策が実行できる責任感をもっているか否か?また財政は小さいが、金不足のせいにしないその真の能力も問われている。

早く目的と手段方法をひろく表明して、政策の差別化を示して抜群の結果を示して欲しい。


④つづく