次期の県議選と噂について


来年4月は統一地方選挙である。あと半年だ。志を持つ人にはどうか頑張ってほしい。 振り返ってみると、この「選挙」くらいつらくて情けなくて、叉それでいてうれしくて感動するものもない。 


選挙とは,現実は所詮勝ち負けの世界。理想にはほど遠い現実があるが、しかしぜったい理想を失わないことだ。変な選挙で出た者が、理想の政治をするとはちょっと考えにくい。


「一時的感情や人気取り政策で目くらましを食らって結局自治体の評判と品格を下げている。政策信念やいずこ。」・・・これを何とかしたい。早く使命感・責任感のある・・・出現を心から望む。この歳になると、人の応援もこっちの大きな仕事だ。大分物事の整理が出来だしたようにおもう。



さて このごろ支援者や友人知人などから「巷のうわさ」がきこえる。先の選挙があまりにふがいない、というところから話が始まり、・・・前の政策の斬新さ、政治力、実行力、歴史性、スピード・・・・ほめてはくれるものの、今直ちにどうしようもない。(公式に確定済みの重要政策の身勝手な遅延に対し、だれがどんな責任をとるのだろう。・・・まずそれをみよう・・・・・こうなる。

で、ところで、「桑山前市長は県議に出るんじゃないか。」・・・・の系統の人が尋ねたぞ。この手の話を大分聞いたぞ。・・・・・こんなことをこっちもかなり耳にする。根拠無き噂で、逆にその意図を聞きたい。

こっちの筋から言えば、大事な忘れ物がある、市長に戻る道が自然。こうなる。県議出戻り説は自分の美学でない。こうなる。

ましてや、「何とかなりそう」だの「チャンスだ」だの「これなら固い」だのは、断固その判断基準にしない。こんなときそういう打算計算はしません。それでは自分がじぶんでなくなる。

 

いよいよの人生の最終楽章は、益々精神的にもそれなりのことがしたい。「あれかこれか」とうろついたり、迷ったり・・・は、3、40代かそこらのやることだ。・・・・・

政界は一寸先は闇・・・・・・というが、その筋・理屈がどう変わったときに、どうなるかまでは読めないその先をもし『天命』と呼ぶのなら、頭の悪いこっちにはそこまではとてもとても、わかるわけが無い



(余談)

意欲・志・使命感を貫遂したいとおもっていても、病気にだけは勝てない。

りあえず「自覚症状らしきもの、これこれ。自覚症状はないが、、調べておいたほうがいいもの何々」・・・と,そう改まった話ではないが息子と二人の先生に聞いてみた。科学的にパーフェクトはないが、ココ何年かその考えで来た。これは初めてのことですが、進んでアチコチかなり検査受診した。予防医学にもっと力を入れたいものだ。断然自信がつきました。皆様におすすめします。           以上