暇人の愚痴

暇人の愚痴

今思ったこと小さなことから色々な意見を

子供でも大人でも、男女の違いは重要

 

・ 社会での男女の数などで、進化や改革の方式が変わる

 日本では、多く昔から家庭や家族が社会の単位となってきた。しかし最近は社会人、一人というものを単位とする個人主義が多くなってきている。しかしそれが人間としてのコミュニケーションの不足を呼んでいる傾向もある。

 仕事などで、組織的社会的な行動をするときはともかく、個人的私的な人づきあいが苦手、必要以上に避ける傾向もある。特に男女の別で付き合いを変えなければならないことが、恋愛感想などにおける男女の関係を変えるテクニックが低くなっている。

 

・ 家庭での男女や数などで、世界の基本が変化する

 年齢、世代を超え、同性間でしか喋らないと、世界に関する観念、常識で自分や毎日を判断することが多いように見える。そこからはみ出したこと、個性的な感情な事柄が、社会から消えてしまう可能性もある。

 そういう社会が世界からいいように見られているとは思えない。意識なく生物的、人間的な交渉を持たないことは、自分たちの事しか考えないように映っているという危険、可能性もある。

 

・ 全人類の全人口の男女の数などにより、何が変わるのだろうか

 単に生物的な性向などにより子供を産む、育てるという途上的傾向は、途上物質優位な感情的社会や国家を形成してしまう。精神的、少子化などの中で悩む日本人青少年にとっては、今のままでも世界通用することに周りでも気づいていない。

 人間一人当たりの地形や製品などの偏執は、世界にいい傾向、未来を仮定しているとは思えない。個々の過程でも、町や国や社会でも、分断を呼ぶ格差を是正するのは現在の人類の文化思想に必要なのは、言を待たない。

 

・ 日本社会などの規模と、世界の規模などで、何が起ころうとするのか

 小さな経済大国としての日本のイメージは、高齢者を中心に大人の間でもいまだに広がっている。しかしその日本がなおさら人口が減り、経済にも興味を持たないっぽい印象は、日本を良さはあっても平常時の印象が薄いことは確かである。

 故郷を大事にし、遅れていた現代化、先進化、機械化、精神化などの情況に必死に苦労し頑張ってきた戦後の人間にとっては、この力を高め強める努力を放棄しているようにも見えている。

 

・ 恋愛や結婚年齢の男女などの数で、何が変わるのだろうか

 政治や経済だけでなく、文化や教育に熱心だった戦後、日本は、欧州などではなくても世界的に評価、感激を生んできた。遊びや恋愛、文化や教育などをどう政治や経済と合体させるかを、現場は皆心がけてきた。

 それらを分離し政治や経済だけに特化させようとする一部マスコミの思案は、大失敗だったともいえる。一部の欧州などばかり評価、真似し、日本にも時代遅れの先進化だけを進むようとした一部マスコミなどは、どう責任を取るのだろうか。

 

・ 一家や世帯の男女などの数の違いで、何が起こるのだろうか

 最近の日本の地域、国、社会、会社などで大問題になっていた情勢の社会進出、男女平等などの流れを悪いと言ったのは、前述と逆の保守の多くである。しかし他の色々な流行と一緒で、それはそれで素晴らしいことである。

 しかし最近その傾向がマスコミでも減り、男女の役割分担を写すようになっているのはなぜだろうか。それが格差や分断の肯定のせいでなく、世界的評価、目標の新しい審判であることを祈るばかりである。

 

・ 子供の数や男女などによって、どういう社会となるのだろうか

 心ならずも子供の数、少子化の進展している国々と、人口が増えている国々では、事態が違うという評論家も多い。しかしこのような問題は、国家世界の総数で論じなければならないのは明らかである。

 しかし実際自分の家族における子供の数が、生活に大きな影響を与えることは疑いがない。格差のある日本においても、子供たちの人間的な生活、成長に対する努力の目標を設定することも、大きな課題、目標であろう。

 

・ 人口や国家規模により、今の世界の何が変わるのだろうか

 最近、紛争やテロなどが増加しているように見える世界で、日本や世界の人口規模を設定することは、世界の指導者の大きな責務である。しかし日本において、少子化と多子化を望む総数は、実際どうなのだろうか。

 いまだにインフレなどによる価格高騰に襲われ、上がらない供与などに困っている日本で、国民、労働者、中小企業などの立場に立って政治を行える政治家が求められているのも、当然のことである。

 

・ 高齢化は是か非か

 日本だけでなく、最近将来高齢化が問題となる国は少なくない。逆に、高齢者が減る国も多いとも思われる。年金などの制度があるかないかも問題だが、生きがいのある社会参加を求める事も、必要となるだろう。

 逆に言えば、高齢者に対する評価や臨むことを軽視したのも、少子化を望んだインテリなどでもあり、一人(の子供)にかかる金を減らそうというのは、最近は日本全国の傾向ともなっている。

 

・ 大人や若者の数により、社会の活性や規模、産業、経済などはどうなるのか

 労働可能者の数や場所による社会の形や生活はもちろん国民にも大きな影響を与える。もちろん男女や正規、非正規なども社会を動かしている。日本での労働不能者に対する考え方は、それこそ日本の先進化の情況を表す。

 連立政権下の個々の指導者の衰退による状況の中で、どう指導者の力を強めるかという問題に、やっと地方(行政)の問題が前面に現れてきているということもできる。

 

・ 社会の人口(規模)はどう選択すればいいのか

 逆に言えば、自分の暮している場所や故郷などを、どう元気によくするかという問題が、やっとネットを出てマスコミでも問題となるようになっている。

 それは、国民が仕事や家事、育児などをしているだけでなく、多くの人間関係の中で生きていると現実に、マスコミも目を向ける、関わる事態になってきているともいえる。

 

 欧州を参考にする放送局がそれらを意識して(番組を)作っているとすると、戦後の社会を主導した行政主導からマスコミ主導で変わり、情報時代、放送時代の変化を社会進化と見るか経済進化と見るか、ネットとの関係も微妙といえる。

 テレビを大家族、三世代で見る時代から、核家族親子で見る時代、そして夫婦で見る時代、そして一人で見る時代と変わってぃったとすれば、放送局の努力も、大変だったろう。

 

 小国と大国、中堅や中流の国の努力、現状と、(旧)イギリス的、ヨーロッパ的な社会とアメリカ的、アジア的な開放や在り方と、その外の世界でも、世界の国民は、外国のこと分からない位、努力、苦労している。

 これまで自国中心でやってこれた国でも、今は周りの情況にも間接直接に影響さっれる。日本の一つ間違うとそうなるし、米国などでもそうなることがないとは言えない今現在である。