恵蘇八幡宮(木の丸殿)・斉明天皇藁葬地

 

 

猿田彦太神

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

由緒 

斉明天皇七年(西暦661年)建立

斉明天皇は百済救済のため

朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)に

皇居と大本営を遷されました。

 

この時随行の中大兄皇子(後の天智天皇)は、

国家安泰と武運長久を御祈願のため、

宇佐神宮の祭神応神天皇の御霊を斉り、

朝倉山天降(あもり)八幡と崇められました。

 

その後、天武天皇の御代、白鳳元年(673年)

斉明、天智天皇の二神霊を勅命により合せ祭り恵蘇八幡三柱大神と称しました。

 

昔は、上座郡中三十三村の総社でしたが、現在朝倉町の総氏神です。

旧社格:郷社

 

 

手水舎

 

 

拝 殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御祭神
応神天皇、斉明天皇、天智天皇

 

 

ご利益
出世開運、武運長久、家運隆昌、
成功勝利、悪病災難除け、子孫繁栄など

 

 

本殿左側

 

 

 

 

本殿裏

 

 

 

 

本殿右側

 

 

 

恵蘇宿天満宮

 

 

漏刻(水時計)
天智10年(671年)6月10日、

天智天皇は漏刻(水時計)をつくって人々に時を知らせられたと

伝えられています

 

 

 

御神木

 

 

 

大刀八幡

 

 

御陵山

 

 

 

木の丸殿の遺蹟

天智天皇は、斉明天皇の御殯葬のあと、

直ちに御陵山下の山腹に木皮のついたままの丸木で忌み殿を建て

12日間喪に服されました。

 

その為、後世人々は恵蘇八幡宮のある地を
「木の丸殿」「黒木の御所」と呼ぶようになりました

 

 

 

 

 

 

筑後川

 

 

 

 

 

山上には斉明天皇の御陵といわれる前方後円墳
(円墳二基ともいわれる)があります。

 

 

 

 

 

 

斉明天皇藳葬地(御殯斂地)

斉明天皇は661年5月9日(太陽暦6月14日)橘広庭宮にお着きになり

7月24日(太陽暦8月27日)病のため御年68歳で崩御されました。

 

その後、中大兄皇子は

御遺骸を一時この山上に御殯葬され百済救済の軍を進めました。

 

そして白村江の戦いで敗れたことを知り、

後に奈良県高市郡越知岡村へ移されたと記されています。 

 

 

 

 

鎮座地 

福岡県朝倉市山田166