霧島東神社 

宮崎県西諸県郡高原町

 

 

 

 

神龍の泉社「忍穂井」

霧島九頭龍王を祀まつっています。

 

水神・地神

 

 

手水舎

祓所

 

開山 性空上人碑

 

 

第十代崇神天皇の代に

霧島山を信仰の対象とする社として創建されたと伝わる。 

 

 

猿田彦尊を祀まつる社

 

門守社:櫛石窓尊

門守社:豊石窓尊

 

天暦年間(947~957)に、天台宗の僧、

性空上人が4年間霧島山に入峰修行。

 

 

高千穂峰の周囲6ヶ所に鎮座する其々の神社の傍らに寺院(別当寺)を建立し、

後に霧嶋六社権現、霧嶋修験と呼ばれる神仏習合の霊場として開山する。

 

 

 

寛文6年(1666)、薩摩藩・島津光久寄進の「東霧島坐」の扁額

 

 

主祭神:伊弉諾尊・伊弉冉尊 

配祀: 天照大神・瓊瓊杵尊・天忍穂耳尊・彦火火出見尊・鵜葺草葺不合尊

    神日本磐余彦尊(神武天皇)

 

当時は霧島山大権現東御在所之宮と呼ばれ、

霧島修験の興隆に伴い社寺ともに栄えていました。

 

度重なる霧島山の噴火により、復興造営を重ねており、

現在の社殿は享保12年(1722)の造営により、幾度かの改修を経て今に至ります。

 

石の天逆鉾

昔、一人の大男が高千穂峰から天逆鉾を担ぎ、

麓の祓川まで降りてきた事件があったそうです。 

 

祓川の人々は男を問い詰め、なんとか逆鉾を取り戻しましたが、

突如、その男が行方不明になりました。 

 

人々は逆鉾が自らの意思で降りてきたと思い、逆鉾は山頂に返しましたが、

石で複製の逆鉾を作り、それをしばらく祓川でお祀りしていたようです。

 

天逆鉾(あまのさかほこ)

霊峰高千穂峰山頂には、霧島東神社の社宝でもある、

「天逆鉾(あまのさかほこ)」があります。 

 

 

伊邪那岐尊(イザナギノミコト)・伊邪那美尊(イザナミノミコト)が高天原から鉾を差しおろし、

かき混ぜて作った国土に、逆さに突き立てたものと使えられる。

 

 

また、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が

天照大御神(アマテラスオオミカミ)から授かった鉾ともいう。

 

実際に祀られた時期は明確ではありませんが、

霧島山の修験者たちが神話にならって祀ったものとされ、

少なくとも江戸時代にはその存在は広く知られていました。

 

火闌降尊を祀る脇社

 

 

 

火明尊を祀まつる脇社

 

 

 

鎮座地

宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田6437