猿田彦大神
御祭神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)。
古くは「高牟礼権現(たかむれごんげん)」と呼ばれた、
高良山の地主神と伝わります。
古事記の冒頭の部分に、天と地が初めて開けた時、
高天の原(たかまのはら)に出現した神の名は、
天之御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。
この三柱の神はみな独神(ひとりがみ)となって身を隠されました。
この御祭神の高御産巣日神は日本神話の二番目に出現した神です。
拝殿
この神社は、六国史に名の現れる神社で、
「三代実録」元慶2年(878)11月13日の条に
「筑後国高樹神に従五位上を授く」とあり、
やがて正五位下に進んだことが天慶7年(943)の
「筑後国内神名帳」によって知られる。
もともと、現在「高良大社」のある高良山の山上に
鎮座していましたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ、
高良の神は、神籠石(こうごいし)を築いて結界を張ったため、
高良山に戻ることができず、現在の場所に鎮座したという伝説があります。
本殿
高良山の別名を高牟礼山(たかむれやま)と称するのも
この神の名に因むものである。
鎮座地
福岡県久留米市御井町