今週の木曜日
歌のお連れと「にんにん」でランチの後
別れて、一人さて何をしようか?
百舌鳥古墳群の中では北端にあり、堺東駅から近い反正天皇陵古墳(田出井山たでいやま古墳)へ行ってみることにしました。
別れた場所から近い出口に出たら
昔と変わっていて、マンションの入り口になってました
ええい、どうにかなるやろう!
線路沿いに沿って歩き、右へ曲がりました。
やっと、古墳らしき緑が見えました。
甘味処「江久庵」があって、その向こうに方違いさんが見えています。
あの出口から出たら、ここには近いみたい。
方違神社です。
方除けの守護神で、方位を犯して新築、改造、転宅、旅行等を行う時、災難を取り除かせてもらう祈祷をしてくれます。
江久庵の2階からも見える反正天皇陵古墳
方違いさんの境内からもよく見えます。
周濠は、石積みとかされていないようです。
神社を出て住宅街へ
しばらく行くと、見えてきました。
江久庵の2階もみえています。
仁徳陵のように、宮内庁が管理しています。
テクテクロードがあって、どうも南出口から来たほうがよかったみたいです。
息子の母校、三国ヶ丘高校が見えました。
ここまで来たら道がわかります。
「グラン」で休憩しようかと思いましたがバスの時間が迫っていたのでやめました。
ちょうど時計回りにぐるっと回ってきました。
堺東駅のバスロータリーに続く踏切です。
バス停に着きました。
バス停前のパン屋さんです。
帰って調べたら、近くに二つの陪塚があったようです。
また次の機会に行きます。
ところで反正(はんぜい)天皇って知ってます?
第 18代に数えられる 天皇。名、タジヒノミズハワケノミコト。
仁徳天皇の第3皇子。母は皇后イワノヒメノミコト。
履中天皇は子供にではなく、弟に皇位を譲ったのですね。
日本書紀に「五穀実りて人民賑わい天下太平」とあり、この帝の御代は安定していたらしい。
歌のお連れと「にんにん」でランチの後
別れて、一人さて何をしようか?
百舌鳥古墳群の中では北端にあり、堺東駅から近い反正天皇陵古墳(田出井山たでいやま古墳)へ行ってみることにしました。
別れた場所から近い出口に出たら
昔と変わっていて、マンションの入り口になってました
ええい、どうにかなるやろう!
線路沿いに沿って歩き、右へ曲がりました。
やっと、古墳らしき緑が見えました。
甘味処「江久庵」があって、その向こうに方違いさんが見えています。
あの出口から出たら、ここには近いみたい。
方違神社です。
方除けの守護神で、方位を犯して新築、改造、転宅、旅行等を行う時、災難を取り除かせてもらう祈祷をしてくれます。
江久庵の2階からも見える反正天皇陵古墳
方違いさんの境内からもよく見えます。
周濠は、石積みとかされていないようです。
神社を出て住宅街へ
しばらく行くと、見えてきました。
江久庵の2階もみえています。
仁徳陵のように、宮内庁が管理しています。
テクテクロードがあって、どうも南出口から来たほうがよかったみたいです。
息子の母校、三国ヶ丘高校が見えました。
ここまで来たら道がわかります。
「グラン」で休憩しようかと思いましたがバスの時間が迫っていたのでやめました。
ちょうど時計回りにぐるっと回ってきました。
堺東駅のバスロータリーに続く踏切です。
バス停に着きました。
バス停前のパン屋さんです。
帰って調べたら、近くに二つの陪塚があったようです。
また次の機会に行きます。
ところで反正(はんぜい)天皇って知ってます?
第 18代に数えられる 天皇。名、タジヒノミズハワケノミコト。
仁徳天皇の第3皇子。母は皇后イワノヒメノミコト。
履中天皇は子供にではなく、弟に皇位を譲ったのですね。
日本書紀に「五穀実りて人民賑わい天下太平」とあり、この帝の御代は安定していたらしい。