わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟(『百人一首』11番)

この歌を詠んだ小野 篁(おの の たかむら)が冥界に通ったといわれる井戸があるという

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)

この寺の付近は現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれたそうな。

教師をしていた友達は、こういうことに詳しい。

清明神社やら鞍馬寺同様パワースポットとして人気があるらしい。


その前を通って、京都での最後は建仁寺。

狛犬ならぬイノシシに引かれ入った摩利支天堂、ここが建仁寺の境内の端っこだった。

開祖は宋からお茶の種を持ち帰った栄西(ようさい)禅師。

植え込みの垣根はお茶の木でした。







「建仁寺といえば建仁寺垣やろ?」

「柿? なってへんなあ!」柿ちゃうし・・・

「どれがそうなんやろ。」

「わからへんし・・・書いてないなあ。」

「しゃあないし・・・これでも写しとくわ!」

「それは垣じゃなくて  壁やろ!!」





「あそこにあるのは普通の竹垣やし・・・」

その普通の竹垣が、建仁寺垣でしたえっ


漫才のようなやりとりをして・・・昔を思い出す。

でこぼこコンビだった二人。

昔はもっと背の差があったように思うけど・・・ちびたなあ、私ニコニコ





南座の前で、一緒に顔見世行ったねというと、覚えていないらしい。

私は何しろ一生に一度のことだったからよく覚えている。

彼女は今でもよく見に行くそうだから。

海老蔵の源氏物語、行くか悩んでいる私とは大違い。

育った環境も、卒業後もまったく違う二人がオットさんに言わせると

よう続いてるなあ!


何年あっていなくても、すぐ昔どおりの私たち。

でも覚えていることは違うのです。


帰りは阪急河原町から電車でした。


建仁寺の写真もこちらでご覧くださいね。