かっこちゃんのメルマガからの転載です。


関わり合いの場から http://member-blogari.zaq.ne.jp/yshibata1958 に柴田先生
が、出生前診断についてのご意見を書いておられます。
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「出生前診断 改めて私の意見」 東日本大震災の後、3月11日に生まれた子どもた
ちの映像を組み合わせた「ハッピーバースデイ」というユニセフのCMが感動を呼ん
だ。その映像の冒頭の赤ちゃんは、ダウン症だった。しかし、映像ではそのことには
いっさいふれられることはなかった。あの震災直後の日本では、生まれた命はすべて
喜ぶべきものであり、ダウン症などと区別する必要はまったくなかったのだ。私はそ
のことを意識した自分がとてもいやだった。

あれからわずか1年半しか経っていない日本で、今、出生前診断が話題になってい
る。そして、その時必ず話題になるのがダウン症だ。しかし、なぜ、ダウン症であろ
うとなかろうと生まれた命は素晴らしいと震災直後に大勢の人が素直に感じた思いが
語られないのだろうか。どんな生命であれ平等だとする議論に私は賛同するが、その
議論は、やはりある違いを前提にしている。しかし、ダウン症の人と私たちは何が
違って何が同じかということがきちんと語られていないと私は考える。出生前診断が
今議論になるのは、医学の進歩があるからだろう。しかし、進歩しているのはけっし
て医学だけではない。ダウン症と呼ばれる人たちに対する具体的な理解もまた進歩し
ている。
その例は枚挙にいとまないが、例えば毎週日曜日の8時にダウン症の書家金沢翔子さ
んの平清盛の題字が放映され全国の人々が、そのすばらしい表現を違和感なく受け入
れている。まだ、多くの人は、彼女を例外と考えているが、それは古い枠組みであ
る。彼女の存在は、ダウン症という障害の新しい理解の枠組みを提示しており、存在
として私たちと何ら変わるところがないということを示しているのである。今回の報
道で解せないのは、せっかく独立した人格としてマスコミに登場し始めたダウン症当
事者の発言を報じないことである。暗黙のうちに彼らは議論の外に置かれようとして
いるのだ。そして、それこそ、実に古びた枠組みにすぎない。

私は、ダウン症の方々と親しく接する場に身を置いているが、そこでは、私たちと彼
らの間にいかなる線を引くこともはばかられる。そして、ダウン症などという、一人
の医者の名前と病気でもないのに「症」をつけてしまった呼称は、関わりの場では使
うことさえおぞましい言葉だ。私たちはただ相手をその人のかけがえのない名前で呼
ぶだけだ。
・・・・
先生らしいお話に胸がいっぱいになります。私もこの動画は何度も観ました。そして
勇気をいただきました。ユニセフのハッピーバースディの動画は下から
http://www.youtube.com/watch?v=liJPOxPT1-o&feature=player_embedded

 私も何人かのメールで、出生前診断について、かっこちゃんはどう考えるの?とお
尋ねをいただきました。あらためて、いろいろなことを考えました。私は去年「手を
つなげば、あたたかい。」(サンマーク出版)を書かせていただきました。そのとき
に、その本に込めた思いがあります。それは、宇宙というものは、自然というもの
は、本当に言葉で表せないほど素晴らしいしくみで成り立っていて、宇宙の何もかも
が、全部、何もかもが必要で、お互いに関わり合って、ひとつの命を生きているんだ
ということでした。草も動物も、人間も、星もなにもかものそれぞれがそうに違いな
いと思っています。その関係の中には、どれが一番大切で、どれはそれほど重要では
ないなんていうことはなく、たとえば、人であれば、誰が偉いとか偉くないとかそん
なこともなく、全部が本当に大切な大切な宇宙の中のひとつなのだと思うのです。

だから、私はいっぱい変なこともしてしまうけど、きっと神様が、こんな私であるこ
とが必要と思ってくださって、だからそれでいいんだと私は思うのです。大切と言う
ことは、いなくてはならないということ。そして、私が担当している役割がきっとあ
るんだということです。それは、人間に簡単にわかる役割ではないかも知れません。
でも、宇宙から見たら、それは絶対にそうだとはっきりしているのだと思います。
1/4の奇跡の映画もそういうことが描かれた映画だと思っています。

 そして、そんな思いでいる私ですが、養護学校に勤務することで、多くの子どもた
ちと出会いました。子どもたちが毎日の生活を送っていく上で、ご家族やご本人の大
変さを思うこともあります。もし、人間の身体を思ったとき、どの身体の部分も大切
で、どの部分もなくては困ります。その部分が大変なときは、他の部分が補おう、助
けを送ろうとします。そうやって一人の人間として、生きていけるのです。だから、
もし、私たちの中に、大変さをかかえられた方がおられたら、それは、みんなで補い
合わなくてなりません。ところが、補ったつもりでも、実は補われている自分がある
のだということも忘れてはならない。そんなことを宇宙のことを考えたときに思いま
す。また、必要でなくてはならないものが、存在しなくなったときに、そして人間が
神様の思いを超えてしてしまったときに、いったいどうなるのだろうということも思
います。

けれども、そんなことより、お一人お一人の出会えた大好きな子どもたちを思ったと
きに、それだけで、涙が出そうになるくらい大好きで、大切と思える私の思いがあり
ます。命はいつも、本当に尊いです。私の思いはちゃんと答えになっているでしょう
か? ちょっと心配です。・・・



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