母が自分の部屋に掛けていた


扇子を突き出して能を舞っている人の後ろに丸い月が描かれている色紙。


うらに小督(こごう)と書いてあった。


能のストーリーを調べてみた。


高倉天皇の寵愛を受けていた小督局は、中宮の父平清盛を怖れてひそかに身を隠します。
その小督の失踪を嘆く帝のもとへ小督は嵯峨野にいるとの噂が伝わり、源仲国に小督を訪ねるようにと勅命が下ります。折しも八月十五夜、小督は琴の上手だから今夜は琴を弾くに違いない、と仲国は琴の音を頼りに馬を走らせます。
「牡鹿鳴く山里」と歌にも詠まれた秋の嵯峨野は澄みわたり、その中を片折戸の家を手がかりに小督を探しあぐねていた仲国は、やがて法輪寺辺で聞き覚えのある琴の音を耳にします。それはまさしく小督が帝を思い奏でる「相夫恋」の曲でした。
ようやく小督に対面がかなうと仲国は帝のお心を伝え、小督から帝への返事を受け取ります。そして名残り惜しまれる酒宴で舞を舞い、都へと帰ります。(「宝生の能」平成13年10月号より)



毎年、十五夜を過ぎてからこの色紙のことを思い出す。


そして母が好きであった「松風」


母の残した本を読み返していたら、これも月を主題にしたものと書いてあった。


月を楽しむ茶会の趣向のところに。


調べてみると「季節 秋 月の美しいころ」とあった。


母が病になった年齢まであと三年。


思いがけず、母の悔しさが伝わってきた。


今頃、あちらの世界で月の趣向を考えているだろうか。



「月見ればちぢに物こそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど」大江千里


月を眺めて感傷に身を浸すのは昔も今も同じようだ。