違う誘導で連続してヒプノにチャレンジの二回目。

以前は何度か試して上手くいかなかった誘導で久々にトライ。



男性だ。
白っぽいストンとした服で、袖の所には膨らみがある。
頭には帽子を被っており、中世ヨーロッパ風の服装。

髪は茶色がかった金で、くるくるの天パ。
どこかおどおどした気弱そうな印象の青年。
20代前半くらい。


自分の家は?
教会が見える。
ここに住んでいる。
司教  司祭  と浮かぶ。
司教ではないだろうから司祭かな?


場所は?
ローマ。

街中から少し離れた所にある教会。
そこで6~8人程の男性で共同生活を送っている。
周囲には緑も多く、自分たちで農作業もしており、食べ物はほぼ自給自足していたようだ。


一緒に住んでいるうちの3人程は子ども。
身寄りのない子を引き取り育てる児童養護施設のような役割も果たしていたようだ。
子どもたちは成長すると俗世に出て行く者もいれば、そのまま教会で神に仕える道を選ぶ者もいる。

私より少し年上の、これまた大人しい印象の男性がおり、私はその人をとても慕っている。
兄貴分という感じで、誰に対しても隔てなく優しい人格者。
農作業などに関しても色々教えてくれる。
この人物は、今世の息子かな?と感じた。

子どもたちの中で一番小さく一番ワンパクで元気の良い子は、どうやら今世の次女のようだ。

じゃあ今世の長女はいないの?と探してみた。するとどうもこの教会に度々訪れる女性のようだった。




印象深い出来事は?


30代後半。

戦による影響か、不作によるものか、その地域に飢饉が起こった。
食べる物がなく、沢山の人達が飢えで亡くなってゆく。
教会で備蓄していた食料では到底足りず、あっという間に底を尽きた。
来る日も来る日も亡くなった人の遺体が墓地に運ばれてくる。


そしてついに、私の慕っている兄貴分の人物までが、飢えで亡くなってしまう。

私はとても深く悲しみ、
何故?!
こんなに誰よりも神の御心に沿うように生きてきた人が、この私より先に召されなければならないとはどういう事なんだ・・・!!
と、その理不尽さに涙している。


しばらくするとその飢饉も収まり、私は何とか命を繋ぎ止める事ができていた。

が、私自身も餓死寸前までいっていた事もあり、普通に動ける状態ではなく、何よりかなり精神的なダメージを受けていた。

これまで自分が神に祈ってきた事は一体何だったのか、祈っても祈っても、結局救いの手を差し伸べてはくれなかったではないか、という脱力感に襲われ、無気力状態に陥ってしまったのだ。

何もする気力が起きず、飢饉が終わっても教会は荒れたままになっている。

すると、だんだん地域の人達が教会の修繕や畑の手入れに訪れてくれるようになってきた。

飢饉の時には助けてもらったから、その恩返しをしたい、と食べ物を持ってきてくれる人達もいた。

その中にはこの飢饉で大切な人を亡くした人も大勢いた。
同じ悲しみを味わっていたのに、本来その人たちを思いやるべき立場である私に、温かい言葉をかけてくれ、励ましてくれたのだ。

あのワンパクな少年も既に教会から巣立っていたが手伝いにきてくれた。


それまでの私は、愛や優しさというのは、神に仕える自分が人々に与えるべきものだと思っていた。
愛は、神からそれに仕える者たちを経て人々に伝えられるのだと思っていた。

しかしこの時私の心は、これまでどんなにか一心に祈りを捧げた時よりもずっと深く、皆の言葉と行動に温かな愛情を感じた。

地域の人たちの訪問により、空虚になっていた心が温かく満たされていった。


結局私は、
自分を救ってくれると信じていた神ではなく、
自分が救うのだと思っていた人たちに救われた。

何という思い違いをしていたのだろう。
愛は、この皆の中にあったのだ。


皆のおかげで気力を取り戻した私は、年老いて胸を病み亡くなるまで司祭を続けた。


亡くなってから自分の半生を振り返ると、父母を早くに亡くしていたようで、私自身も孤児として教会に引き取られていたとわかった。
その引け目もあり、おどおどしてしまい、地域の人々には心を開けない所があったようだ。



この人生を見た意味は?

この時の自分は、飢饉後の気づきを得るまでは、神  自分  地域の人々  という順位付けを無意識にしていた。
それも、自分が孤児だというコンプレックスが深く関係していたのだと思う。
父も母もいない自分の存在意義が欲しかった。
司祭という立場にありながら、実は臆病で人間不信気味だった。

誰かをジャッジする気持ちが起きるのは、自分自身をジャッジしているからなのだ。
自分を認めて、自分を愛する。
そうする事で本当に他者に心を開く事もできる。

というメッセージ。

確かにそれを学ばせてもらった人生だったようだ。



また、これはリアルタイムの私にも考えさせられるテーマ。
地域の人たちからの思いやりを感じた時は、本当に胸の奥から熱くなって、みんなの気持ちがなんて温かいのだろうと涙が出てきた。
多分あれがハートを開いているという状態なんじゃないかな~。



そして、この長く丁寧な誘導は、途中の睡魔さえ乗り切ればわりと細かい所まで見に行けるようだという事もわかったヒプノ体験だった。