物心ついた時からずっと「必要なもの」だと思っていた罪悪感。
その対象はあらゆるものに及び、特に対人関係においてはなくてはならないものだと思っていた。
罪悪感をなくす事は、自分の良心を捨てる事のような気がしていた。
しかし、どうも罪悪感て実は手放しても差し支えないようだとわかり始めたマイレボリューションといった感覚のする今日このごろ。
人の反応の一挙一動を気にして、自分のせいで人に不快な思いをさせてしまったんじゃないか、周囲から自分が否定されてるんじゃないかと、あまりにも自然に考えを巡らしてしまう思考グセ。
クセなので、これまでは自覚もなかった。
自分の気持ちを整理していくにつれ徐々にそこに違和感を感じるようになり、ここひと月くらいは、自分がその思考スパイラルに入りはじめると、
「って、これまた私の疑心暗鬼な妄想でしょ~!」と、
自分でツッコミを入れられるようになってきた。
そうすると、実は私の感じてたストレスや息苦しさって、ほとんどそこに起因しているのかも知れないというほど、大きな不要物だったのだなあと気付き始めて。
いらんもんだとわかって客観的に見ていると、まぁ次から次へと湧いてくる湧いてくる。
自分を叱責する気持ち。
周囲からの批判に備えての脳内シュミレーション。
私、これまでこんなに自分の妄想にいちいちまともにとりあってたんだ。
これまでの人生の中でそこに使ってた膨大なエネルギー、ものすごい無駄だったかも知れない・・・
一昨日はその思いが重りのようになって自分の頭や肩にジャラジャラくっついてるのがわかり、慌ててふり払って落とした。
私が気付いて手放せば消えていくようなのだが、こんな重りがついてたんでは、そりゃ行動も制限されるわなあ。
また、昨日トイレに入っている時に、フッと「あきらめる」という感覚が出てきて、出来ない事で自分を責めるのではなく、あきらめて「一旦お返ししま~す」みたいな感覚で手放してみたら、すーっと胸の中が軽くなった。
軽くなると、自然と感謝の気持ちも湧いてくる。
「私には出来なかったけれど、良い経験をさせていただきました」と。
コレ、罪悪感を抱えてるよりずっといい。
あきらめる、いい。
そしてしみじみと、私のこの罪悪感グセって、かなり母からの影響が大きいなあ、という気がしている。
今まで、母を否定したくないという気持ちがあり、ちゃんと向き合おうとしていなかった。
母は謙虚な頑張り屋さんなんだけど、自分に重いものを課すのが好き。
そして子どもは良くも悪くもその世界観を真に受けて育つんだなあ・・・(ー ー;)
母に異を唱えたくない。
母の思う正しい世界の中で生きていけたらいいな、楽チンだなと思っていたのだけど(^^;;
自分の中の整理をしていくと、避けて通れない所のようなので。
どうやら、そろそろそこにちゃんと向き合うタイミングなのかも知れない。
まあ、それが大変な事のような気がしてる事すら、私の妄想なのかもだけど。