根本先生のセッション以降、自己肯定感がついてきたようで、人と比べて自分を卑下する事が自然と減ってきた。
と、共に、実は自分の中にいらぬ罪悪感をだいぶ溜め込んでいた、という事にも気付き始めた。
もしかすると罪悪感って百害あって一利無しといえるほど不要なものなのかも知れないという気がしつつ、まだ社会性との兼ね合いが自分の中でうまく整理できないのだ。
ま、そのへんはこれから徐々に消化できてくるのだろう。
また、色々な事へのハードルも自然と低くなってきた気がする。
これは多分「間違っちゃいけない」と、思わなくなったからかな?
セルフヒプノに関しても、せっかくヒプノセラピーができるのだから、とりあえず自分の潜在意識に聞いてみればいいかなというくらいの軽い気持ちで行えるように。
今までは、どこか「儀式」のような感覚で、うやうやしく若干勿体ぶって行なっている所があった。
人に施術する場合は勿論「場作り」も、「集中」も必要になるので、どうしても儀式的になるけれど、自分に対してかしこまるなんて考えてみれば水くさい話だ。
生活の中で、日々疑問に思うこと。
未消化な気持ち。
現実的な悩み。
自問自答の延長線上のようなノリで行なってみればいいんだよね。
今日は、すぐ横で息子がyoutubeでドリフのコントを見ているため、イヤホンをしても笑い声が入ってくるという環境だった。
でもま、やってみよ。
ゆるい気持ちすぎてどうかなと思いつつ、だんだんと見えてきた。
私は小さな子どもだ。
4、5歳くらい?
肌の色は茶褐色。
髪は黒く、ベタベタした感じ。
服はよくわからないが、粗末な身なり。
目がぎょろりとして、おなかがぷくっとふくれている。
太ってるのではなく、栄養失調気味のようだ。
雑多で混沌とした、アジアのマーケットという感じの場所。
とても懐かしい感覚が沸き起こってきた。
両親はそのマーケットの中の飲食店で働いているか、もしくは経営している。
とにかく非常に貧しい暮らし。
食事はいつも兄弟と残飯をあさっている。
子どもの私は、よく少し高い所から、大きな河を見下ろし眺めていた。
たまに遺体が流れている事があり、私はそれを見て羨ましく思っていた。
「生きていたって、何も楽しい事などない。毎日毎日ただ辛いだけ。早く自分も死んで楽になりたい。」
と思いながら、それが流れ去ってゆくのをずっと眺めていた。
ここで場所についての思考が入る。
河に遺体が流れているって、インド?
いや、インドじゃない・・
バングラデシュ と浮かぶ。
場面がかわり、印象深い出来事へ。
20才位に成長している。
子どもの頃とはうってかわって美しく身なりを整え、大きなお屋敷に住んでいる。
子どもの頃はわりと性別不明な感じだったが、女性だったようだ。
玉の輿にでも乗れたのか、もしかしたら買われたのか、経緯はわからないが、愛情的にも満たされた、何不自由のない暮らしをしている。
ここで沸き起こってきたのが罪悪感。
「私はこんなに幸せになれたけれど、家族のみんなはどうしてるかしら。
きっとまだ貧しい暮らしをしてるんだわ。
私だけがこんなに幸せな生活をしているなんて、みんなに申し訳ない・・・!」
なかなか強烈な申し訳なさと、そう思いながらも自分には何もできないもどかしさで、はらはらと涙が流れはじめた。
人生の最後は?
白髪で、だいぶお年を召している様子。
わりとご長寿だったようだ。
年をとり、自分で采配をふるえるようになってから、貧しい地区の身寄りのない子たちを引き取り、育てるという事をしていた。
罪滅ぼしのような気持ちもあったのかも知れない。
その子たちに看取られ、息を引き取った。
亡くなってから思った事は?
とにかく家族の中で自分だけが幸せになってしまった事への罪悪感がハンパない。
力のない自分にはどうする事もできなかったが、そもそもそんな社会である事に強烈な憤りを覚えていた。
自分が子どもの時に味わった、あの辛く惨めな思いは、もう絶対に誰にも味あわせたくない!!
あんな思いをしてる人が一人でもいる限り、私は心からの幸せを感じられる事はない。
それには、まず教育が必要なんじゃない?!
自分の人生を静かにふりかえってるというよりは、まだまだやりたい事がいっぱいあったようで、感情が次から次へと溢れ出てくる。
高次の存在からのメッセージは?
とにかく行動してみる事だ。
この時のあなたは、完全ではないにしろ、晩年、自分の思いを実現させる事ができていた。
簡単な事ではなかったし、周囲の反対や、上手くいかない事もたくさんあった。
よかれと思っても結果的に間違いをおかしてしまうような事もあった。
それを乗り越え行動したからこそ、自分の思いを実現する事ができたのだよ。
とにかく全ては行動からはじまるのだよ。
と、いうものだった。
終わってからも、前世の自分の熱い感情がしばらく残っており、色々考えさせられるヒプノ体験だった。
そして、「もうちょい集中してやればもう少し詳細が見れたかな~?」という感じなので、やはりどうせやるなら気軽でもちゃんと集中したほうが効率は良さそうだという事もわかったのだった。