7月下旬か8月のはじめ頃にかけてのこと。
続いていた体調不良回復のきっかけとなったエンヤにすっかりはまり、毎晩聴くのが習慣のようになっていた。
音に心を委ねていると、自分が「良い状態」に調整されてくるのがわかる。
「波動が上がる」ってこういう感じなのかも?
と思う。
ある日の夜、音楽に合わせてさまざまなイメージが浮かんだ。
深い森林のイメージ。
ケルトの森 と浮かぶ。
中でもひときわ大きく枝を広げた太い幹の木。
生命の樹 と浮かぶ。
根から栄養分がどんどん幹や枝葉に巡っている。
所々が七色の光で輝いている。
まるで絵本のモチモチの木のよう。
いつのまにか周囲は宇宙空間のような場所になっている。
続いていた体調不良回復のきっかけとなったエンヤにすっかりはまり、毎晩聴くのが習慣のようになっていた。
音に心を委ねていると、自分が「良い状態」に調整されてくるのがわかる。
「波動が上がる」ってこういう感じなのかも?
と思う。
ある日の夜、音楽に合わせてさまざまなイメージが浮かんだ。
深い森林のイメージ。
ケルトの森 と浮かぶ。
中でもひときわ大きく枝を広げた太い幹の木。
生命の樹 と浮かぶ。
根から栄養分がどんどん幹や枝葉に巡っている。
所々が七色の光で輝いている。
まるで絵本のモチモチの木のよう。
いつのまにか周囲は宇宙空間のような場所になっている。
この樹のエネルギーは、私をクリアに調整してくれるようだった。
「気持ちいい~」と、そのエネルギーを味わっていると、いつもの鳩尾の痛みが起きてきた。
「ウウ~、イタタ・・・」
と、感じつつ、
いつもの事なのでそれほど気には止めずにいたが、
いつもの事なのでそれほど気には止めずにいたが、
ふと、
自分が痛みを感じてる部分も、何かのエネルギーを持っているなあ、と感じる。
ずっと自分の中に「私のものじゃない感情」がある、という感じはしており、「自分の感情ではないから自分ではどうしようもできない」と思っていて、色々なスピリチュアル系セッションなどを受け解決策を探していた。
しかし結果を総括すると「自分自身の手放せないもの」という結論だったので、「じゃあ自分の心をケアしていけばいいんだな」と思っていたが、やはりこのエネルギーはどうも私自身のものではない。
と、自然に両手が鳩尾にいき、イメージの中でその「負」を身体から浮き上がらせた。
負のエネルギーを感じながら、
「ああ、これ、私はもう要らない。」
とハッキリ思った。
すると、両手が自然にそのエネルギーを外に押し返すような動きを繰り返し始めた。
「このエネルギーは私のものではなかったようなので、出した方にお返しします。
私は自分が受け取らなきゃ申し訳ないと思っていたようだけど、本来は出した方が自分で解消するべき感情のようでした。
私には必要ありませんので、どなたのものかは判りませんが、全て出した方にお返しします。
どこからが他の方の感情なのかも判りませんが、私の感情だけを残し、あとは全て元の持ち主にお返しします。」
この時、ベースでは「生命の樹」のエネルギーに繋がっており、「大地に根を張っている安心感と、上に向かって伸びていく可能性」という大きなエネルギーにサポートしてもらうような感じで、私の中の不要なエネルギーを、自分が納得ゆくまできれいに全て片付けていった。
「は~、なんかすっきりしたなあ~。
まるで自分で自分をヒーリングできたみたい。」
と、気持ちよく眠りについた。
そして、翌日からはっきりと精神状態がかわった。
負の感情が浮上してくる事がピタリとなくなった。
ここ4年くらい続いていた感情が、翌日の朝から全く起こらなくなくなった。
正直、
「あれだけ色々やってきて解消されなかったものが、自分でちょっと何かしたからって良くなるわけないじゃん!」
と、なかなか信じられなかったが、あまりにもその日を境にハッキリ違うので、ひと月近く経った今は確信に至っている。
思えばこの時初めてはっきりと、
「この感情、私のものじゃないのなら、私には要らない。」
と断言できたのだ。
ヒプノ講座で治美さんから教わり印象的だったものに、
「他人との健全な境界線」
という言葉があった。
治美さん曰く、
「各人の問題はその人自身が解決するべきもので、それをかわりに解決してしまうのはその人の成長の機会を奪ってしまうという事。
そもそも自分の問題は自分にしか解決できない。」
それまで私は、「他人に同調はできればできるほど良い」と、いわゆる「人の気持ちが解る人間」でありたいと、さらにおこがましくも、「人の苦痛を解消できるような人間になりたい」、とも思っていた。
今は、問題というのも各人に与えられたギフトであり、セラピストといえども、できるのはあくまでも問題解消の手助けなのだと考えるようになったが、どうも「負の感情は相手の分も私が拾えるだけ拾って何とかするべきだ」と、無意識に実践し続けてしまっていたようだ。
まさに私は、自分のものではないと感じながらも、それをずっと手放せなかったのだ。
「あなたが手放せない」
とさんざん色々な方から言われ続けたのは、きっとそういう事も含まれてたのね。
負の感情を相手に返す事に罪悪感を感じていたのも、この時気付いた。
でも、負の感情を持つ事は別に悪い事じゃないんだよね。
負の出来事ははそれを乗り越え成長するチャンスなのだから。
伸び代なのだから。
感情を全て返し終えた後、相手に対し「ありがとう」という気持ちが沸き起こり、自然に両手を合わせた。
まだ私の中に私自身の負の感情も残っているし、鳩尾もまだ痛い。
でも、浮上してくるメインの感情が「ありがとう」にかわったので、精神衛生上とても良い。
こんなにも自分で自分のケアができたなんて、まだ半信半疑だが、それも見えない世界のサポートをいただいてこそだったのだろう。
大切な事にも身を以て気付けたし。
私にとってはけっこう大きなひと夏の成功体験だった。