2013.7


2013年6月から、横浜の伊東治美さんのサロンで、

ヒプノセラピスト養成講座を受け始めた。


マンツーマンで、終日の講習という形式。

だいたい土日に予約を入れる事が多く、

息子も一緒に上京して日中は姉と過ごし、

私が講習を終えたら合流というパターンが何度かあった。


いい機会なので、少し見聞を広げてほしいなあという思いと、

正直、息子を残して自分だけが好きな勉強をしに行く事に罪悪感もあった。


結果、その数回の上京は、息子にとって楽しい思い出になったようだ。



そんな事もあって、

治美さんとの実践の中で行った前世退行は、

受けるテーマに、息子との関係性を選んでみた。

どうして今のような個性を持って生まれてきたのかも知りたかった。


滝が見える。

山奥の、あまり大きくはない滝。

目の前が滝つぼで、そこそこの深さがある。

サアアーと、細やかな水しぶき。

マイナスイオンを感じる。


私は10歳前半位の少年。

上半身が裸、浅黒い肌。

東南アジアかな?


滝つぼにもぐってそこで魚などを獲っている。

いきいきとした楽しい気持ち。


住まいは木造で粗末な感じの家だった。

暮らしぶりも豊かではないようだ。

野原のような所に建っている。

周辺には家がないようだった。

お母さんの存在はよくわからず、

年の離れた姉と、小さな弟か妹がいた。

お姉ちゃんは、とても優しくて安心できる素敵な女性。

今世では出会っていないかも知れないけど、

とてもよく知っている感じがする。

親しみと安らぎを感じる。

落ち着きのある、星飛雄馬のお姉さん的なキャラ。


お父さんはいる。

大人しそうな印象の人。

お父さんは、今世の息子だ。


ぼく(この辺から、自分の一人称が「ぼく」になってくる)は、

お父さんの事が大好き。

お父さんは色んな事を教えてくれる。

魚の獲り方も、お父さんに教えてもらった。


そして、大きな出来事の場面へ行くと、

草むらの中で自分が泣いているシーン。

「お父さんが、死んじゃった・・・」

とにかく悲しくて悲しくて仕方がない。

モーレツに悲しい。


原因は、どこからか足をすべらせて落ちたという事故だったらしい。


そこで感じたのは、

「お父さんはあんまり村の人と付き合いがなかったから、

 事故にあっても誰にも気づいてもらえなかった。

 もし誰かに気づいてもらえていたら、助かったかも知れない。

 お父さんは、本当に優しい人なのに。

 お父さんのいい所を、ぼくは沢山知っているから、

 ぼくがもっとそれをみんなに解ってもらえるようにすれば良かったんだ。」

という事。


その後、自分もかなり若くして亡くなった。

やはり足をすべらせてどこからか落ちたのだと思う。


自分が岩場のような所に、頭から血を流して横たわっているのが見える。

上から見ている感じで、痛みや恐怖はない。


亡くなった時の気持ちを聞かれると、

「もっと気をつければよかった・・・。」と。

そりゃそうだ。


自分の人生を振り返って思った事は、

「お父さんにもう一度会いたい。」


会って伝えたい事があるの?

「・・・ただ会いたい。

 会えるだけでいい。

 お父さんのそばにいられるだけでいい。

 それだけでいい。」


ハイアーセルフからのメッセージは

「命は、こんな風に突然なくなる事もある。

 命は永遠ではない。

 今生きている時間、それ自体が得難いギフトなのだ。

 一秒たりとも無駄な時間はない。

 生まれてからその生を終えるまでの一秒一秒が、

 光り輝く素晴らしいギフトなんだよ。」

という感じだった。


「生きてそこにいてくれるだけでいい」というのは、
以前鑑定士さんに違う過去世を観てもらった時、
先に亡くなった私に対して息子が感じてた感情と一緒だった。

今世の息子も、大人しく優しい性格。
でもコミュ二ケーションが苦手。
できない事が多いので、コンプレックスも強い。
そして私は、息子の良い所を沢山知っている。


お父さんが亡くなった時の強い悲しみの感情、

自分が亡くなったあと、

「ただお父さんに会いたい」と、

お父さんへの愛の塊みたいになった感覚、

ハイアーセルフからメッセージを受け取っている時、

時間というものが本当に一秒一秒、それこそどんな宝石よりも

高貴に輝きながら過ぎていく(というか与えていただいてる)感覚。


全て、リアルに感じられた。



でも、実はどれも今世の私では感じた事のない感覚。

それなのにセッションを思い出すと、その感情がありありとよみがえる。


という事は、このセッションを受けていなかったら、

これらの感覚はまだ「ひとごと」のような感じだったんだろうなあ。


セッションを受け、リアルに感じられた後でも、

今世の自分にとっては若干ひとごとのような感じだったりする位だ。


今まで私はテレビや本などで、

“生きていてくれるだけでいい”

というセリフを見聞きすると、

「いい事言ってるとは思うけど、ピンとこないな、そんなもんかな。」

などと思っていた。


このヒプノを受けて、初めてその感じが実感できた。

理屈や理由は全くない

「いてくれるだけでいい」

もう全く、確かにそれだけなんだよね。


「ああ、人って本当にこういう風に思うんだ!」

と、同時に違った意味でも感動していた。



潜在意識は、こんな風に、様々な感覚の宝庫なのではないか。

ヒプノセラピーって、思わぬお宝が発掘される楽しみもあるのかも!

と感じた。


新しい自分を発見できた、素敵なセッションだった。


治美さんに感謝です。