リストラティブヨガの学び | Live the life you love

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じぶんの人生を愛せる
そんな風に生きていこう

たとえ今が受け入れがたいものであったとしても、これで終わりじゃない

ほんの少しの勇気とやさしい気持ちをもって、選んでみたい道を選んでみよう。

そんな想いで綴るブログ。



その時は、ちょうどおばあちゃんとのお別れが迫っているような時期でした。


リストラティブヨガを学んだ2人目の先生MiMi先生のところへ
リストラティブヨガの指導者養成講座を学びに行きました。



ボルスターに身体を委ねていても、
浮かんでくるのはおばあちゃんのことばかり。



浮上するものを、無理に打ち消さない。
指導者としての学びだからこそ、
自らが心地よさを体験すること。


これは、ケン先生の講座を通して、
信念としてありましたので、
おばあちゃんのことが浮かんでくるならば、
最善の別れをするための時間を過ごそう。

そう思いました。







私から見て、おばあちゃんの生き方の表現は、
とても切ないものでした。


「ありがとう」の代わりに
「ごめんよ、気の毒だったね」って言う。



素直じゃない。
ネガティブ。

私にとって、おばあちゃんの在り方は、
そんな風に映って、
おばあちゃんのそういうところが
息子である私のお父さんとも
嫁である私のお母さんとも

無用なあつれきを生んでいるように思っていました。


最期に及んでも尚、そんなおばあちゃんの在り方が
私の中でどうにも消化しきれていないのを感じていて、

更には、お父さんに対しても
もうお別れなんだから、もっと優しい言葉でしゃべってあげればいいのに。
って、お父さんの態度も理解出来ないと思っていた。

生活面で何ら不足のないように、
蛍光灯とか
ラジオや目覚まし時計の電池交換とか
ベッドの導入とか
保険のこととか
私には知り得ぬあらゆる事を、おばあちゃんの為に滞りなくやっていたのはお父さんでしたが、

それでも口調は未だ反抗期の息子のようにぶっきらぼうだったし、
決して“おばあちゃん扱い”することはなかった。

当時私は、おばあちゃんとお父さん親子の最期の関わりが、理解できなかったんです。




そんな状態のときに、
再びリストラティブヨガに浸れる3日間を得て、とても良かったと思っている。



真実が分かったから。


おばあちゃんと最善の別れができたから。




おばあちゃんがお父さんにとって、どんなお母さんであったとしても、

おばあちゃんがお母さんにとって、どんなお姑さんであったとしても、

おばあちゃんが私にとって、少々ひねくれていて、ネガティブ発言の目立つばぁさんであったとしても、



おばあちゃんが戦争中も生きて、
お父さんを生んで育て上げて、
そして私たちに命をつないでくれたのだ。


不規則な勤務だった母に代わり、
小さな私達姉妹の面倒をみて、安全に守ってくれたから、
私達は大きな怪我も病気もなく大人になっている。




それが真実だ。



そう思ったら、おばあちゃんに対して
びっくりするくらい自然に感謝が溢れた。



思いもエネルギーなので、時空を超えて共鳴する。

これは、願望だけれど
この時自然とあふれた感謝は、
この時まだ地上にいたおばあちゃんの魂を少しは癒しただろうか。。



この一連のことに対して、リストラティブヨガは、小さなきっかけに過ぎないかもしれません。


それでも、確信しているのは、
この時、身体の緊張を解いたことで、
ガチガチの思考や思い込みから解放され、真実を理解する準備が出来ていったんじゃないかなぁということ。




リストラティブヨガをどのようなものとして
自分に与えるかということは、
その時々、自分に対して決めればいいと思う。


ただただ休みたい。
それでもじゅうぶんだと思う。



いずれにしても、その時の最善となるのだと思うから。