2015年の

もう遠くに思える暑い夏。

2年半前に開かれた個展。

 

グッズの5年日記は

皆さん、購入されましたか?

買って、つけてらっしゃいますか?

 

私は2冊買いました。

 

日記をつける習慣は全くなく

2015年、16年は空欄ばかり。

17年になって、

同じような毎日の繰り返しで

昨日何をしていたかも思い出せないほどなのが

つまらないような、虚しいような気がして

とりあえず、何をしたかだけでもメモろう

と、ようやくマメに書き始めました。

 

そうして、今年は5段ある日記のもう4段目。

月日の経つのがはやいこと。

 

 

簡単なメモ程度でも

記しておいて読み返すと

面白いものですね。

 

例えば2月19日。

昨年は

ここでお知り合いになれた仲間の皆さんと

セカムズの地で開かれたマラソン大会に参加。

翌日にはロケ地巡りもして

楽しい日を過ごしていました。

 

一年後には全く違う内容を記しながら、

不思議というか

こんなに違う日が待ってたんだ

と思いました。

 

一日一日、それぞれが

実はすごく大切なものなんだな

とも思います。

 

 

そうやって

どんどん過ぎてしまう日々の中にあって、

ブログのこの居場所は

時が止まるわけではなくても

小さくて、ひそやかであっても

ちょっとした止まり木、寄港地みたいな存在で

やっぱり、すごくありがたく、

いつでも

ゆったり時が流れてくれているようで

とっても好きです。

 

ブログをする気持ちにも季節があって

もうブログ村を訪れないお仲間も

実は多かったりしますけれども、それでも。

 

私も、もはや年一か? というくらいの

更新頻度ではありますが

ここがある、というのが

ひとつの気持ちの拠り所であることに

変わりはありません。

 

 

嵐愛、智愛への共感を通じて

さまざまなご縁をいただいたけれど、

今、ご縁のある方々のお部屋にお邪魔して思うのは

記された文字を追いながら

内容より何より

それを書いた「人」を感じられる。

そのことが自分にとって嬉しいんだな

ということ。

 

画面上の活字だけれど

その向こうに血の通った人を感じている。

 

なんとなく、繋がっている

ひとりじゃない、という気がする。

 

 

だから、私もまだここと関わっている。

 

 

 

 

なんだか回りくどく

長々と書いてしまいましたが、

ですから、今日の生存確認記事の趣旨は

実は、たった一言。

 

私は、まだ

ここにいるよ

 

 

 

 

 

 

 

そうして、まだ皆さんを感じていたい

と思っています。

 

読んだり、いいね!したり

できない時もあると思いますが、

気持ちは、まだここにいます。