「口(くち)」も濁れば、「愚痴(ぐち)」になる。
「意思(いし)」も濁れば、「意地(いじ)」になる。
「徳(とく)」も濁れば、「毒(どく)」になる。
『正法眼蔵』洗浄より
これは禅僧の道元禅師の言葉ですが、とても日本語の奥深さを感じますね。
濁った心は、すべてのものをまったく別のものに変えてしまうということをあらわしているのでしょう。
口の濁りは「愚痴」に、意志の濁りは「意地」に、徳の濁りは「毒」になってしまう。
言い換えれば、心の中に嫉妬や欲がなければ愚痴にはならない。
自分というエゴを手放して、周囲のことを考えれば、意地にはならず強い意志になる。
毒になるような嫌なことを自ら進んで引き受ければ徳になるともいえるでしょう。
言葉や行為は本来、清らかで純粋なもののはずです。
それが、見栄、不平、不満、嫉妬、欲といったマイナスの心を持って行動してしまうと、いつの間にか私たちの言葉や行為は濁ってしまいます。
私も一人でも多くの人の役に立ちたいという思いで、カタカムナ・クスリ絵の学校京都校を開校し、会社を立ち上げて1ヶ月が経ちました。
そのときの思いに濁りはなく、今も変わりませんが、私も人間です。
ついつい心が濁ってしまうこともあります。
ですから、この言葉を自分に言い聞かせて、ホ・オポノポノの4つの言葉やクーム(空無)、ハフリ、カタカムナウタヒ、心の垢をとる感謝業などを取り入れながら、リセットするように心がけています。
天から授けられた「才(さい)」を濁らせて「罪(ざい)」にしないよう、日々感謝と喜びの心ですべての行動を行うようにしていかなければと再認識させていただきました。
ありがとうございます。
カタカムナ・クスリ絵の学校
京都校校長
森 雅之
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