こんにちは。

今日も見ていただき、ありがとうございます。




「曖昧さとのつきあい方」
について考えた事。





人の多さ、距離感を気にしながら
子供と公園へ。

桜の実
キミドリに輝く虫
ヘビ
トカゲと遭遇。

「ギャー!」と、逃げる娘が一言。
「何で虫さん達は、虫さんの部屋にいないの?
ここは私達の公園だよ。」






虫には虫の、
動物には動物の、
ヒトにはヒトの住むべき世界がある。
(ほぉー、面白い。そう思ってるんだね。)

確かに動物園へ行けば
動物ごとにオリに入れられ、
ヒトとの間には
境界線がある。









田舎育ちの子供達。

田舎にいても
意識して自然と混じわらないと、
境界線は開くばかり。
(ほっておくと、ゲーム三昧の息子。)

全てのヒト、物との距離を
保つことが正義となった今は、

自然の中で
泥んこになって、
友達ともみくちゃになって
ケンカすることもない。
(ケンカ両成敗もできやしない。)

(キミドリの虫の写真がきます。
苦手な方はとばして下さい。)












じゃあ、
自然界にボーダーラインは…?




ヒトの手があまり入っていない自然は、
混沌としていて、
先が見えない鬱蒼とした森。

鳥の声も聞こえない静寂が、
怖かった。

自分に合った場所に
それぞれの樹木、植物が自生する。

混ざりながら、淘汰されていく。









私はヒトや
物との距離ができて
寂しい反面、
少しホッとしている部分も。
(その濃厚さを、体感として知っているから。)

最初から
混ざり合うことを知らない子供達は、
どうなのか?

綺麗に四角四面に整えられ、
距離が取られた世界で

虫も、
動物も、
色々な考え方のヒトも

一色単に入り交じり合う曖昧さを
どう感じるのか?




娘の言葉と、
梨木香歩さんの
「ぐるりのこと」が重なった日。