くすもりのブログ

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私怨(しえん)ねぇ…


ありえないようなひどいことをされて、「なんで黙っているの?」と言われるが、なんでなんだろう・・・


かといって、やられっぱなしというわけでもなく、何があってもマイペースで生きているというだけだ。


相手はいつまで攻撃しても満足することはない。


だって、その攻撃はその人が抱えている心の闇からくるものだから、攻撃してくる人本人が心から「こんなことは良くない」「こんな自分を変えたい」と思わない限り死ぬまで続くんだからね。


攻撃することに何の疑問も感じていない限り、永遠に続いてしまうとても残念なストレス解消法。


たいていは攻撃する人をやさしく受け止めてくれる他者がいるから、永遠に続いてしまうとても残念な無限ループ。


だけどさぁ、絶対に壊れることのないサンドバックなんてこの世に存在するわけないべ。


攻撃され続け、下手したら死に至る。


至らずとも何らかのバグは生じる。


今、私はとてもしあわせで少しづつ傷が回復していることを実感しているが、私怨に端を発し、まったく関係のない人々まで巻き込んだものすごい攻撃を受けていたころは、さすがに今振り返ってみてもひどかったとしみじみ思う。


あのころのブログは、今読んでもかわいそすぎる・・・


「くすもりのブログ 13」は、いろいろ大変なことを抱えていつつも、仕事上ではまったくプライベートのつらさを外には見せずに明るく楽しく更新を続けていたころの話だ。


その1年後に、あんなに何もかも破壊しつくすような恐ろしい攻撃を受けるなんてつゆも知らずに・・・


読み返すと、根本的な部分はまったく変わっていないことに気がついてうれしくなる。今、いろいろな経験を重ねてその時以上の進化ができていたとしたら、すごくうれしいことだなぁ。



くすもりのブログ 13 ≪2012年1月-2月≫




相変わらずネットの世界は魑魅魍魎(ちみもうりょう)の巣食う空間だと改めて感じる。


私もだいぶつらい思いをさせられたが、まだ年端もいかない子供たちを毒牙にかけることはないでしょ。


無責任な言葉で人をとことん傷つけることに喜びを感じる世界を許すわけにはいかないと言いつづけながら、効果的な方策を全くたてられないのは大人たちの責任だ。ごめん。


だけど、人は強いんだ。


このつらい状況を逆に自分の財産として、心も体も大きく成長していくんだよ。



くすもりのブログ 12 ≪2012年1月-1≫




自分のブログを久し振りに読んで泣いた。


毎日生活して元気な普通の姿に見慣れてしまうと、昔あった出来事はいつの間にか記憶のかなたに押しやられてしまう。それがとても印象的な出来事であったとしても。


野球野球野球野球野球野球野球


私はもう四半世紀以上日記をつけ続けていて、その内容はごくごくあっさりしたものだということが私のポリシーでもあったのだが、2011年5月からブログをはじめて「心うつりゆくよしなしごと」を「そこはかとなく書き」続けてきたことで、これまでにない様々な発見があった。


ブログというものは、毎日書かなくてはいけないものなのか?と誤解していた時期もあったが、そんな縛りもまったく気にしなくなってみると、書きたいことはなぜか外からやってくる。


書く気がしない時は書かない。逆に何か書きたいことが突然やってくると、言葉がどんどん浮かんでくる。


不思議なことに、他の仕事をしながら様々な言葉が心に浮かび、その通りに書くときもあれば、パソコンの前に座るとまったく違った言葉が溢れ出してきて、事前に思い浮かんだ内容と全く違った表現に変わるときもある。


いったいどういう仕組みなんだろう・・・


野球野球野球野球野球野球野球


元気そうに見えても、ものすごい出来事をずっと我慢して、やせ細ってしまったことを私は知っている。


抑えても抑えても、反動というものは表れてしまう。


上っ面の姿だけを見て、世間が「ダメ」だとレッテルを貼っても、なぜそんな姿になってしまったのかを私は知っている。


「家族」ならではでもあるが、たとえ「家族」ではない他人でも、なぜこの人は今こんな姿になっているのか、思いを巡らせることができるかどうかはどのくらいその人のことにかかわろうとしているかによる。


「自分さえよければそれでいい。」


という考え方が一般的な中、人間は本当はそんなんじゃない、もっと互いに思いやれる存在なんだといつまででも信じている。


「バッカじゃねぇの?」と笑われても。



くすもりのブログ 11 ≪2011年12月≫





「何事も最後まで続ける」ことが至上命題だと思ってきた。


根が真面目だしね。


だけど、様々な理由から何が何でも続けなくてもいいんだということも学んだ。


もちろん、後悔やつらい思い、悔しい思いもついてくるけどね。


それらすべてもひっくるめて、次の成長のための糧(かて)とする。


私もだいぶ、変わってきたもんだ。



くすもりの「野球」 2






「取り返しのつかないことをしてしまった・・・」


「合わせる顔がない・・・」


自分がしでかしてしまったことが悪夢のように何度も何度も心の中でよみがえり、

無間地獄からいつまでも抜け出せない。


確かに過去は変えられない。


傷つけられた者の心に、決して消えることのない刻印が刻み込まれてしまったという事実を今さら変えることはできない。


しかし、すべてのことが「許されない」のだろうか?


人間って、思っている以上にタフだ。


傷つけられながらも、それを乗り越えてさらに成長できる人だってたくさんいるんだ。


思い切って行動してみてごらんよ。


受け入れてくれるか、拒否られるかは誰にもわからない。


だけど、ぶつかり合わなけりゃ何も変わっていかないことも確かだ。


行動したら、何かが動く。



くすもりのブログ 10 ≪2011年11~12月≫




あけましておめでとうございます。


受験生にお正月は関係ないのだ。


この経験をアホらしいと思うか、

自分のためだと思うか、

人によってさまざまだろうが、

何年もたってからこの時期を思い出すと

きっと今とは違う気持ちが生まれていることに

気が付くことだろう。


それが成長というものだ。



くすもりの「勉強の裏技」 1



秋というのは不思議な季節だ。


あんなに勢いよく青々と生い茂っていた草や葉が

夏から秋へと季節が移っていくのに従って

少しづつ色づき始め、

やがて散っていく。


冬は草木にとって「死」の世界か?

と思えるかもしれないが、

決してそんなことはない。


小学4年生の理科で

冬の木々の枝に、

ほんの少しづつ芽が育っていることを学んだということを

覚えている大人はどれだけいるんだろう。


様々なものに

さよならを言う。


お別れはさみしいけれど

それですべてが終わったわけではない。


誰にも気がつかれないところで

小さな芽はちゃんと育っている。



くすもりのブログ 9 ≪2011年11月-2≫



くすもりのブログ 7と8
同時発売。

女の子男の子女の子男の子女の子男の子女の子

久しぶりに娘の幼稚園の近くに行った。

変わらない所もあれば、
「おぉ~、ここ建て替えているのね。」
と新たな発見もあったりしておもしろかった。

変わらないものもあれば、
変わるものもある。

遠くてなかなか行くことはできないけれど、
今までお世話になったあちこちに
いつかもう一度あいさつに行きたいなぁ…

くすもりのブログ 7 ≪2011年10月~11月≫



くすもりのブログ 8 ≪11月?≫


くすもりのブログ


くすもりの「音楽」


私の中では、

いつも音楽が鳴り響いている。


3歳からピアノを習い始めた。


中3でやめてしまったけれど、

実家がピアノ教室もやっていたので

自分で弾かなくても毎日毎日、

生徒さんが弾くピアノの音を聞いていた。


母と叔母が国語の教師だったので、

「言葉」をとても大切にして育った。


だから私にとって「音楽」は、

メロディーだけでなく

「詩」もとても大切な要素なんだ。



くすもりの「音楽」 1